北本市史 通史編 近世
第3章 農村の変貌と支配の強化
第8節 生活と文化
1 北本市域の寺院と神社
市域の札所札所を定めて巡ることは古くから行われてきた。その最たるものは平安時代に淵源をもつ西国三十三か所である。次いで鎌倉時代の坂東三十三か所で、これは関東一円の八か国の名刹が霊場とされた。室町時代になると秩父三十四か所が設けられた。江戸時代になるとこれらの伝統をうけて札所巡りは再び盛行してきた。とくに中期以降になると、遠隔地までは巡礼できない人々のために各札所の本尊を勧請して、一地方ごとに小規模ながら新しい札所の組織が整備され、その地域において一応完結する札所巡りの風習が広まった。足立地方に関した札所をあげると、坂東足立観音霊場、足立新秩父観音霊場、足立百不動尊などがある。これらは浦和、川口の北足立南部地方を中心に大宮・上尾・桶川にまで及んでいる。これに対して、北足立北部地方の観音をまつる寺院を組織した札所が足立坂東三十三箇所観音霊場で、市域の寺院も組込まれている。
この足立坂東三十三箇所観音霊場は、元禄十五年(一七〇二)に日出谷村(桶川市)の新義真言宗智山派龍谷山知足院の梵語学者として有名な往職盛典(じょうてん)が、桶川を中心に大宮宿以北の寺院仏堂三十三か所を選んで創設したもので、表42の通りである。
表42 足立坂東三十三箇所観音霊場
第一番 | 龍谷山知足院(桶川市) |
第二番 | 龍谷山大雲寺(桶川市) |
第三番 | 慈雲山龍山院(上尾市) |
第四番 | 小室山松福寺(伊奈町) |
第五番 | 福王山清光寺(伊奈町) |
第六番 | 大悲山観音寺(伊奈町) |
第七番 | 法界山薬師寺(桶川市)廃寺 |
第八番 | 慈眼山正法院(菖蒲町) |
第九番 | 清涼山文殊院(鴻巣市)廃寺 |
第十番 | 東光院観音堂(桶川市)廃寺 |
第十一番 | 観音寺(北本市) |
第十二番 | 妙龍山如意寺(北本市) |
第十三番 | 殿林山寿命院(北本市) |
第十四番 | 対馬山深井寺(鴻巣市)廃寺 |
第十五番 | 愛宕山妙楽寺(鴻巣市) |
第十六番 | 高尾山妙音寺(北本市) |
第十七番 | 千手山雙徳寺 北本市) |
第十八番 | 諏訪山普門寺 (桶川市) |
第十九番 | 福券山無ffl院 (桶川市) |
第二十番 | 端露山密厳院 (上尾市) |
第二十一番 | 補處山弥勒院 (桶川市) |
第二十二番 | 新御堂 (桶川市)廃寺 |
第二十三番 | 樋詰寺観音院 (桶川市) |
第二十四番 | 岩殿山照明院 (上尾市)廃寺 |
第二十五番 | 古泉寺大悲庵 (上尾市) |
第二十六番 | 福寿山皆応寺 (上尾市) |
第二十七番 | 安養山泉光寺 (上尾市) |
第二十八番 | 狐零山馬蹄寺 (上尾市) |
第二十九番 | 木栄山観音寺 (大宮市) |
第三十番 | 大龍山清河寺 (大宮市) |
第三十一番 | 薬王山妙光寺 (大宮市) |
第三十二番 | 普光山慈眼寺 (大宮市) |
第三十三番 | 楽邦山満福寺 (大宮市) |
(『観音巡礼』P107~109より引用)
足立坂東観音霊場記(『埼玉叢書三』)によると、第一番は足立郡石戸領日出谷村龍谷山弥勒寺知足院から始まる。市域に関係した霊場をみると次の通りである。
第ーー番 観音寺足立郡鴻巣領中丸村、立像は一尺三分の十一面観音、恵心僧都の御作で御前立がある。堂は二間半四面で文禄年中(一五九二~一五九五)に加藤氏善藤居士が建立した。御詠歌は
ありがたや自他の迷の角菱も中まるかれと祈る御仏
第一二番 常楽寺足立郡鴻巣領古市場村、坐像九寸七分の六臂の如意輪観音。この尊像は元埼玉郡騎西領根古屋
村長浜与五兵衛が大仏師法橋くらふすという者に廿四尊の仏菩薩を造らせた中の一つを因縁あってこの地に勧請したものだという。堂は二間四面の南向き。御詠歌は
じゃうらくの花ぞ開くる如意輪の誓は後の実にて頼母し
第一三番 殿林山金蔵寺寿命院足立郡鴻巣領深井村、本尊は金剛界の大日尊。寿命院は昔は持明院と書いたという。坐像は五寸七分十一面観音で運慶の作、秘仏。堂は三間四面東向き。寺の御朱印がある。新義真言宗の檀林である。御詠歌は
くるからは長き寿命を酌み添えん深井の水のあらん限りは
第一六番 高尾山観音院妙音寺足立郡石戸領高尾村、坐像は九寸二分の二臂十一面観音。浄土宗のろかん和尚の作。御詠歌は
春は花秋は紅葉の高尾山音も絶せぬ深き谷川
第一七番 千手山慈眼院双徳寺足立郡石戸領荒井村、坐像は七寸の千手観音で行基菩薩の作。堂は二間四面南向き、本寺は泉福寺で御詠歌は
くみてしるちめいあらいの観世音心も身をも洗ひ清よめん
この双徳寺は明治四年に廃寺になったが、この寺に付属していた堂が現在みそ観音と呼ばれている観音堂である。