北本市史 通史編 近世

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 近世

第3章 農村の変貌と支配の強化

第8節 生活と文化

2 民間信仰と寺社参詣

道祖神・猿田彦太神

写真27 猿(申)田彦太神

平成年3 中丸

市内には数は少ないが、講組織をもつて造立され信仰されたものとして、中丸一〇丁目内路傍の文化九年(ーハ一ニ)の猿田彦太神(写真27)がある。これは「上中丸村中加藤丈助」以下一八名の講中によって祀られたものである。猿田彦は神代の国つ神の一つで、天孫降臨のときに、その道案内をつとめた神とされているが後世、仏教の影響を受けて「猿」と「申(さる)」との混同から、庚申の日にこの神をまつる庚申信仰との習合が見られるようになったが、この地の猿田彦太神も内容的には庚申信仰と同一であったと思われる。なおこの塔と同一地には、昭和九年に建立された猿像の猿田彦太神が、二度栗山創立者井原のぶ、二代目井原喜之助、同あさによって奉納されている。
市内には三基の道祖神がある。最古のものは石戸宿三丁目東光寺境内の元禄六年(一六九三)の銘がある。荒井の須賀神社境内には文化七年(一八一〇)の、朝日三丁目(旧古市場字道ろく神)路傍には天保四年(ー八三三)の道祖神が祀られている。この神は古くは境の神・道の神として外来の疫病や悪霊を防ぐ神として信仰されていた。


<< 前のページに戻る