第3章 農村の変貌と支配の強化
第8節 生活と文化
2 民間信仰と寺社参詣
六十六部廻国塔
荒井の花見堂墓地内には写真28のような高さ二四ハセンチメートルの巨大な廻国塔がある。この廻国塔は宝永三年(一七〇六)に造立されており、市内で最古のものである。塔の正面には
武州足立郡石戸領荒井村千手山雙徳寺現住豎者法印廣清
戒師東叡山一乗院大僧都法印円舜
? 奉納大乗妙典日本回国六十六部供養成就所
導師勅願院泉福寺豎者法印舜乗
維時宝永三歳丙戌三月吉祥日 願主常稜(?)
写真28 廻国等
荒井
裏面には「願以此功徳普及一切於我等舆衆生皆成仏道」とあり、両側面には「荒井村道俗男女惣双徳寺旦那現世安穏後生善處 矢部九兵衛 金二分矢部口左右門、金一分同 母、三百文新井市郎左衛門、金一分荒井十左右門、三百文同 内儀、金二分福嶋与惣左衛門(以下一〇〇名強略)」が刻名されている。今は廃寺となっている雙徳寺の廣清が日本廻国の遊行僧すなわち六十六部となって、日本全国六六か国の霊場に法華経を一部ずつ奉納し巡礼して歩いたのを記念して檀信徒一同が常稜(?)を願主として造塔したものである。六十六部の始源は明らかでないが、室町期はじめごろにみられ、江戸期に盛んになり余裕のある信心深い農民たちも六部となって巡礼した。日本全国を行脚することは長期の日数と多額の費用を要したが、日々の生活の糧(かて)は托鉢(たくはつ)や乞食(こつじき)してまかなった。僧侶にとっては托鉢は重要な修行の一つであり、信仰心篤い農民にとっては先祖への供養であり、二世安楽を求めたり、自他法界の平等と利益を求めるものであった。市内にはこのような廻国塔が、表43のように十基ほどある。