北本市史 通史編 近世

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 近世

第3章 農村の変貌と支配の強化

第8節 生活と文化

3 庶民教育の普及

寺子屋
江戸時代における庶 民教育の機関としては、郷学・私塾・寺子屋があった。寺子屋は文字通り寺院の門弟および庶 民教育の流れを汲むもので、その起こりは中世にまでさかのぼる。近世の江戸時代に入ると村政・検地・年貢皆済等の文書管理や算出の事務のため村役人とくに名主には、いわゆる読み書きそろばんは必須のものとなった。さらに貨幣経済の村々への浸透は、広く一般農民にまで「読み書きそろばん」の必要性を増大させた。また中流以上の農民には生活上の余裕が生じ、子弟に教育を受けさせる風潮が広まったことも寺子屋の増加に関係している。こうして江戸時代後期から幕末にかけて寺子屋の開設が増加した。このころになると師匠も僧侶だけでなく神官・修験者・武 士・医者・村役人・農民などと多様化した。
寺子屋教育は、一般に六~七歳からの童児に読み書きそろばんなどの日常的、初歩的な教育を行う手習いを中心とする書道文字教育であったが、後期になると漢籍の素読、社会常識や実用知識などを盛りこんだ往来物と道徳的内容にまで及ぶようになった。
埼玉県教育委員会は、昭和四十年度より教育史編纂事業をすすめたが、『埼玉県教育史第一巻』には昭和十六年の調査にもとづいて、同四十年に再調査を行った寺子屋の調査結果を報告している。これによると寺子屋は総数で九八三に達した。その後県下では三〇余に及ぶ市町村史が刊行され、そこに寺子屋の新たな調査結果が加わった。その数は三二八に及ぶ(昭和六十二年現在、『県史通史編四』P-〇〇三)。北本市においても県教育史編纂当時は、寺子屋は五か所判明していたが、現在はーーか所確認されている。
ところで、『県教育史第一巻』から時期別寺子屋所在数を転記すると表47の通りであり、その総数は九八三である。この表により県下の寺子屋の時期別・郡別・身分別師匠の概要を知ることができる。ここでいう前期は享保の改革以前であるが、寺子屋の数はまだまだ少数で、師匠のほとんども僧侶であった。中期は享保の改革以後、寛政の改革の前までで、この期になると寺子屋の増加が目立つようになり、後期の寛政の改革から文政期になると顕著になった。市域でもこの期に一つ誕生している。天保以降の末期になると激増した。読み書きの能力を持つことが社会生活上必要条件となってきたことが農民層にまで認識されるようになったことを示している。また庶 民の師匠による寺子屋が半数弱を占めるほどの増加をみせている。市域でも村役人の経営による寺子屋が二か所は確認できる。
表47 時期別寺子屋所在数
期問区分 
身分
北足立郡 入間郡比企郡秩父郡児玉郡大里郡北埼玉郡 南埼玉郡 北葛飾郡 合計
前期武 士 
宗教家 13 
庶 民 
女 性 
不 明 
小 計 14 
中期武 士 
宗教家 39 10 67 
庶 民 
女 性 
不 明 
小 計 41 10 77 
後期武 士 
宗教家 36 13 10 90 
庶 民 11 10 50 
女 性 
不 明 17 
小 計 51 24 14 13 19 16 161 
末期武 士 16 10 40 
宗教家 64 53 17 29 43 16 18 252 
庶 民 58 62 16 68 22 58 23 19 335 
女 性 
不 明 16 15 15 18 11 97 
小 計 159 133 53 102 31 129 47 50 27 731 
合 計 254 167 68 120 37 150 65 76 4S 983 
郡別村数 470 422 209 77 124 241 209 280 203 2235 

注 * 宗教家とは僧侶・修験・神宮 庶 民とは医者・村吏・良民・商人をさす (『県教育史1』P62より作成)


<< 前のページに戻る