北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第6節 混乱期の社会生活

1 混乱期の社会生活

たびたび流失する高尾橋

写真13 流出した高尾橋

昭和40年 高尾

河川の護岸工事が不十分で、橋自体も堅固でなかったころは、台風の襲来によって橋が流失することが多かつた。荒川の北本地内にかかる高尾橋、荒井橋もしばしば流失した。ここでは高尾橋の流失についてふれてみたい。残されている記録としては、昭和二十九年、三十六年、四十年の三度のものがある。
昭和二十九年九月、台風十四号に襲われた高尾橋は、橋面、橋げたの一部を流失した。また、三十六年十月の台風で再び流失し、翌三十七年四月復旧された。しかし、復旧して日の浅い四十年八月、台風十七号が関東地方に豪雨をもたらした。その豪雨によって、熊谷の荒川大橋から大宮の上江橋(かみこうばし)間の八か所の橋が流失又は破損した。高尾橋も流失し、翌四十一年一月からの着工で三月に完成した。下部の写真は、高尾橋が流失した際のものである。この時の台風は大きなものではなかったが、護岸工事が不十分であったことや、砂利(じゃり)採取のため川の流れが変わってしまったことによる災害で会った。

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