北本市史 通史編 現代
第1章 戦後復興期の北本
第7節 民主化される教育
1 混乱の中の教育現場
墨でぬられる教科書日本に対する連合国の占領は、日本の非軍事化と民主化を主な目的として行われた。日本の占領を担当することとなったGHQはその目的逹成のために占領当初より次々と指令を発した。それは教育に関しても例外ではなかった。戦前の軍事教育を払拭し、民主化を徹底するため多くの指令が出された。日本側でも、文部省がGHQの指令に基づき、様々の措置をとることとなった。
写真16 墨ぬり教科書ー1
昭和20年ころ(阿部泉氏提供)
昭和二十年九月二十日の文部省通達「終戦二伴フ教科用図書取扱方二関スル件」は、その中に、「戦争終結二関スル詔書(しょうしょ)ノ御精神に鑑(かんが)ミ適当ナラザル教材二ッキテハ左記二依リ全部或ハ部分的ニ削除シ又ハ取扱二慎重ヲ期スル等万全ノ注意ヲ払ハレ度此段及通牒(つうちょう)」とあるように、不適当な教材の削除、取扱に注意すべき教材などを指示したものであった。削除または取扱に注意すべき教材の基準としては「国防軍備を強調する教材、戦意昂揚(こうよう)に関する教材、国際の和親を妨げるおそれのある教材」などが挙げられた。国民学校後期用国語教科書『よみかた四』を例にとってみよう。写真16は『よみかた四』の目次である。この中で黒くぬられた教材が削除すべき教材であった。目次の中で消されている三は「海軍のにいさん」、十五は「にいさんの入営」、二十は「金しくんしょう」、二十一は「病院の兵たいさん」である。また、十の「満州の冬」は取扱上注意を要する教材とされた。
写真17 墨ぬり教科書ー2
昭和20年ころ(阿部泉氏提供)
さらに、昭和二十一年七月十八日、戦前の国家教育の象徴の一つであった御真影(ごしんえい)と奉安殿(ほうあんでん)について「御真影、奉安殿の撤去」通達が出された。石戸国民学校でもこの通達に基づいて、奉安殿を市内下石戸下の八雲(やぐも)神社に移し、表忠碑(ひょうちゅうひ)を校外に移した。これら墨ぬり教科書や奉安殿の撤去などの措置は、まさに旧教育から新教育への転換を象徴するできごとであった。