北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第7節 民主化される教育

2 教育制度の民主化

PTAの発足と活動
昭和二十一年四月、第一次アメリカ教育使節団が日本の教育の民主化のための報告を行ったが、その中では、戦後教育の民主化のためには学校と家庭の協力、すなわちPTA活動が必要であることが指摘された。さらに、極東委員会でもPTAを積極的に奨励したため、文部省は二十二年「父母と先生の会」資料を作成し、「父母と先生の会」の結成を呼びかけた。同資料の中では結成の目的を、「・・・現在の実情はというと、この子供達に影響を与えるこの学校、家庭、社会という三つの場所がお互に密接な連絡をもたず、みんなばらばらになっていることが多い。これでは子供達の教育が充分に実を結ぶことはできない。この三つ の場所がお互に充分に連絡し、子供たちに与える影響を考えあって補(おぎな)い合うことが何よりも必要である。そして子供達に色々要求するのみでなく子供たちの幸福のためにどうすれば一番よいかを真剣に考えてその実現に努力していく。・・・」と強調し、結成の方法、会の運営、効果などについて広報した。埼玉県でも同年六月以降、父母と先生の会、すなわちPTAの結成趣旨(しゅし)の徹底と結成促進をはかった。このためPTAはまたたく間に各学校で結成されるようになり、二十六年度には県内の小・中学校全ての学校でPTAが結成された。
中丸小では昭和二十一年十二月にPTAが発足した。発足後しぱらくの間は後援会的な色彩が強く、予算の支出についても、特に運動用具費、運動会費、音楽用具費という設備面の充実や、職員研究助成の面が重視されていた。PTAとしての活動が広い面で見られるようになったのは三十年代になってからであり、特に社会教育的機能が充実するようになった。三十五年以降、赤堀や谷田(やた)用水周辺の水の事故防止活動を開始し、校庭の除草、整理という環境整備も勤労奉仕として行われるようになった。さらに、同小のPTA活動の特筆すべき点として挙げられるのは、三十七年から翌年にかけて行われた、国道十七号の歩道橋架設(かせつ)の際の積極的な請願運動であったが、これについては第二章第六節で詳しく見たい。
石戸小では、昭和二十二年二月に石戸国民学校保護者会として発足したが、二十四年十一月に石戸小PTAと改称され、石戸小の教育発展のため様々な面から貢献した。たとえば給食作業、ピアノ、運動具、給食物資などの寄附、補導活動、廃品回収の活動が積極的に行われた。
北本中(当時北本宿中)では、学校創立の昭和二十五年にPTAが発足した。開校当時の同中では特に校地の整備が大変な作業であり、この面でのPTAの尽力には多大なものがあった。また、開校から年数が浅く設備も整っていないことから、諸設備の寄附も多かった。幻灯機(げんとうき)、野球バックネット、焼却炉(しょうきゃくろ)、テープレコーダー、緞帳(どんちょう)、自転車置物などさまざまなものの寄贈がなされ、教育の充実のために大きく貢献したのである。

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