北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第7節 民主化される教育

4 社会教育と戦後宗教界の変革

公民館の設置
戦後まもない昭和二十年九月十五日に文部省は「新日本建設の教育方針」を公表し、その中で社会教育全般の振興を表明した。これが戦後の社会教育行政の出発点であった。また、翌二十一年五月、文部省は「都道府県社会教育委員並に市町村社会教育委員設置について」という文部次官通牒(つうちょう)を発して、「社会教育の刷新(さっしん)振興に資するため」、社会教育委員を設置することとした。社会教育委員設置要領の中で設置方針について「都道府県市町村に各社会教育委員を置き、社会教育に関する組織を整備充実して、その刷新振興を図らんとするものである」とあるように、市町村でも設置されるべきものであった。埼玉県は六月に社会教育委員を設置し、十月、市町村長に対して委員設置を勧奨(かんしょう)したが、市町村での設置は遅れることとなった。
昭和二十四年六月には、国民の社会教育を振興するための基本法である社会教育法が制定された。これにより社会教育委員は教育委員会が委嘱することとなり、北本では同年十二月に社会教育委員が設置された。
一方、施設として社会教育の中心の場となる公民館は二十一年七月の「公民館の設置運営について」という文部次官通牒の中で設置が奨励された。
『県史通史編七』P四〇九によれば、埼玉県の公民館設置状況は、昭和二十五年一月に一三〇館、二十八年七月には全市町村の六九・五パ—セント(ニニ五館)に達した。

写真22 北本町中央公民館

昭和45年 宮内

北本の最初の公民館として北本宿村中央公民館が設立されたのは昭和三十二年のことであった。当時は予算も不足していたため公民館が独立の建物であることは少なく、多くは他の施設との併設であった。誕生した中央公民館も大字北本宿にあった当時の村役場に併設する形で設立された。設立初期の三十三年は館長以下四名の職員で運営されており、予算も四一万九〇〇〇円と少なく、主に備品の購入にあてられ、特に視聴覚機器の設置に重点が置かれた。公民館が開催した定期講座も、新生活運動や公明選挙に関することが中心であった。翌年には定期講座の中に、編物、料理、レクリエーションが加わり、事業としても、村民レクリエーション大会、野球大会が行われるようになったが、施設的な限界もあり公民館活動としてはまだ手探りの状態であった。
本格的な公民館活動が行われるのは独立した公民館の建設後である。昭和四十四年の中丸小学校の改築にともない、同小の敷地内に木造校舎を改造して独立の公民館とし、活発な活動が可能となった。

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