北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第2節 北本市の発足と市政の展開

1 北本市の発足

北本市の発足
紛糾する市名問題に対して、町当局は解脱会に白紙撤回を申し入れ、同会もこれを受け入れた。解脱市に反対する運動も中止され、九月四日の議会で新市名は北本市と決定した。
十一月三日、北本市発足の当日は、北本中学校で記念式典がおこなわれ、市長斉藤隆は式辞のなかで、北本市の将来は「緑豊かな住宅文化都市」にあるとして、次のように述べた。
(前略)本市は都心まで五十分あまりという立地条件から諸産業や住宅団地等の進出が目ざましく(中略)住宅公団北本団地の入居が完了する年内には、四万人をこえることが予想されます。こうした著しい都市化現象に積極的に対処し、四囲を豊かな緑と清澄(せいちょう)な空気に恵まれた公害のない、美しい自然と調和のとれた住宅文化都市の建設にまい進し、全市民の福祉の向上に全力をつくす所存であります。

写真31 市制施行記念式典

昭和46年 本町

写真32 市制施行記念行事

昭和46年 本町

また、市議会議長吉田慎一郎は、当面なさなければならないことは、都市基盤の整備や教育・福祉の充実にあることを強調して、次のように述べた。
(前略)我が北本市は、未だ都市としての条件を充分に備えているとは申せません。すなわち、今後残された問題として区画整理、住居表示の拡充、下水道の整備等々多くの問題があるのであります。さらに教育、福祉等々の面にも(中略)、並々ならぬ努力が必要と存じます(後略)。
吉田議長が述べた都市づくりは、地方自治法の一部改正(昭和四十四年)によって義務づけられ、すでに策定されつつあった総合振興計画基本構想をふまえたものであり、市制施行後の行政は、これを基礎に展開されることになつた。

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