北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第6節 都市化と変貌する北本

4 都市化と交通問題

バス路線のうつりかわり
北本を通る乗り合いバスの運行は、戦後は東武自動車が昭和二十二年四月に熊谷ー大宮間を開通したことに始まった。当初は四台のバスで一日八往復運行し、停留所(ていりゅうじょ)は熊谷から大宮まで一一か所市内では、深井・北本宿・ニッ家の三か所の停留所があった。中山道を通るこの路線が北本のバス路線の中心であったが、その後住宅の増加とともに、停留所もふえ、新しいバス路線も開設されていった。
昭和三十年代後半に大宮ーニッ家間が開通したが、ニッ家以北への路線延長が強く希望され、四十年六月から東間浅間(せんげん)神社まで延長運行されることになり、利用客の便が増した。さらに、北本駅と桶川駅を石戸廻りで結ぶ路線も開通した。最初は一日八往復であったが、利用客の増加とともに四十三年一月から一二往復となり、沿線住民にとって駅への貴重な足となった。
中山道路線では、とりわけ北本以南における交通量の増加により、バス連行が定刻より遅れがちになることが慢性的になってきたことから、大宮始発のバスは上尾車庫が始点・終点の中心となっていった。上尾ー熊谷間、上尾ー鴻巣間が中心路線となり、運行本線も一時間あたり上下四本と増えていった。中山道を中心とするバスは、このような曲折(きょくせつ)を経て現在の上尾の上尾車庫ー鴻巣免許センター路線へとつながっていく。また、家庭に自動車が普及してきたこともあり、バス路線の重要度は高まらなかったため、その後運行路線は増えないが、現在の住宅増をみると重要度はむしろ増すものと思われる。

写真61 太朗右衛門橋を通るバス

昭和30年ころ 桶川市
(小池満家提供)

北本駅を起点とする路線は、前述の北本駅ー桶川駅の他に、昭和四十年八月北本駅ー行田(ぎょうだ)車庫を結ぶ路線が開設された。上下計一一往復運行され、東間・深井方面の住民にとっては北本駅への重要な交通手段となった。また、四十五年三月には、北本駅と鴻巣駅を鴻巣常光(じょうこう)廻りで結ぶ路線も開設され、一日五往復運行された。
このように三路線が北本駅東口を起点として、駅と沿線を結ぶ重要な役割を担っていたが、自動車の普及による全体的な利用客の伸び悩みと駅に十分な停車スペースがないなどの理由から、鴻巣駅行きは昭和五十四年三月に、行田車庫行きは同年八月に廃止となり、桶川駅行きも運行本数が大変に少なくなり平成三年秋にはこの線も廃止となった。
一方、二〇〇〇戸を越える日本住宅公団北本団地の入居が昭和四十六年九月から始まったことに伴い、同年十月一日団地と北本駅を結ぶ路線が新たに開通した。これは北本団地入居世帯の多くが北本駅利用者のため、町と公団との間にとりかわされた覚書で決められていた事項に含まれるものであった(第二章第一節参照)。

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