北本市史 通史編 現代

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第2章 都市化から安定成長へ

第6節 都市化と変貌する北本

4 都市化と交通問題

新しくなった荒井橋
北本市内の荒川には高尾橋と荒井橋がかかっている。かつてはどちらも冠水橋(かんすいきょう)であったため、台風などの際には大雨で荒川が氾濫(はんらん)すると通行が不可能になることがしばしばあった。特に荒井橋は県道東松山・桶川線にかかっており、この道路は北本と吉見や東松山を結ぶ重要な幹線であったので、通行が不可能になると大きな被害を受けることになった。また、橋に重量制限が設けられていたので大型車は通行できず、上流の御成橋(おなりばし)(鴻巣市)か下流の太郎右衛門橋(たろうえもんばし)(桶川市)まで回らなけれぱならなかった。さらに、橋の幅員(ふくいん)制限のため一車線通行になっており、橋上は交互通行をしなければならない不便な状態であった。

写真67 建設中の新荒井橋

昭和55年 荒井

そこで、北本、鴻巣、桶川、東松山(ひがしまつやま)、吉見、川島(かわじま)及び菖蒲(しょうぶ)という関係市町から構成される荒井橋永久橋架設促進期成同盟が昭和四十二年に結成され、県に対して陳情活動を行ってきたが、ようやく同四十八年から永久橋へのかけ替え工事計画が具体的に検討されるようになった。建設促進運動が実って、五十四年には工事も本格化し、五十七年完成、五月一日に開通となつた。永久橋化した荒井橋は、長さ六四ニメートル、幅一一・二五メートルで、大型車が通行可能となり、橋上も二車線で交互通行の必要がなくなった。さらに、北本と吉見、東松山が永久橋で結ばれたことにより、荒川の東西の交流が盛んになり、交通量の増加や沿道の発展に拍車がかかることとなった。


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