北本市史 資料編 自然

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第4章 北本の気候

第3節 北本の気象災害

風水害
風水害については、多くは郡単位の記録が残っている。北本市内の旧町名が記録に残っているものをとり上げると、以下のとおりである。
<南東気流による大雨>明治四十三年(一九一〇)七月二十五日~二十七日
本州はるか南方海上を北西進した台風があり、県内では南東気流が吹きこんで大雨となり、二十六日から二十七日の朝までに大量に降水した。大里郡で増水、氾濫し北本の石戸村では、耕地百三十町が浸水した。
<台風、前線などによる大雨>明治四十三年(一九一〇)八月一日~十六日
明治最大の洪水として記録されている。八月一日から二日は前線、三日~六日は低気圧がそれぞれ関東付近に停滞して降水した。七日には台風が北上して、関東地方は本格的な大雨が始まる。台風の影響で県内では九日夜から十一日未明まで降水した。十二日別の台風が接近して十三日~十四日にかけて再び県内は大雨となる。このため、荒川は増水し八日から山崩れがおこり、急な氾濫を招いた。
平野部では大麻生村が破堤し、十一日には吉岡、市田、吉見においても破堤し、都幾川、越辺川、入間川、高麗川等の氾濫と合流し、比企地方の左岸の石戸村、右岸の古谷村をはじめ各所で本堤が破壊され、北足立西部から川口町方面にまで浸水した。浸水面積は北足立郡だけで一万九千七百九拾町に及んだ。
<強風による火災など>昭和十六年(一九四一)一月二十日
北日本を通過中の強い低気圧から南にのびる寒冷前線が通過し、二十日夕方から北西の強風が吹いて、火災が頻発した。石戸村では三戸五棟が焼けた。熊谷での最大風速は毎秒十四.〇メートル、北西の風であった。
<カスリーン台風による大雨、大洪水>昭和二十二年(一九四七)九月十四日~十五日
大正・昭和を通じて最大の水害であった。
カスリーン台風は九月八日発生し、十五日に房総半島をかすめて通過した。県内では十四日から前線の影響で雨が降り出し、荒川、利根川、入間川他中小河川五十余ヵ所で破堤した。荒川は十五日夕方、田間宮村で、次いで熊谷市久下新田で破堤した。濁流は吹上、埼玉、北本宿、常光の各村に浸入した。被害は参百十六市町村におよび、県内の死者は百一名を数えた。

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