北本市史 資料編 自然

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第5章 北本の水

第2節 地下水

1 地下水の存在状況

地下における水の存在は、通気帯(不飽和帯)と飽和帯とに分けられる。通気帯は一部が水で、一部が空気によって占められた間隙・割れ目である。飽和帯のすべての間隙・割れ目は、静水圧のもとで水で充満している。陸地のほとんどは地表面の下に通気帯があり、さらにその下に飽和帯がみられる。地表面を掘っていくと、水面ができるが、この水面の部分から下が飽和帯である。この飽和帯における水の存在が一般にいう地下水であり、地層の間隙すべてを水が満たしている。
地下水は、透水性のよい地層(透水層)である砂層や礫層の間隙に存在する場合、不圧地下水と被圧地下水とに細分される。不圧地下水の上面は通気帯と直接接するが、井戸やボーリング孔の中では水面となって現われる。これを地下水面とよび、地下水の圧力がその位置で大気圧と釣りあっていることを示している。また、地表面から地下水面までの深さを水位、地表面から井底までの深さを総深、井戸内の水の厚さを湛水深とよんでいる。
地下水面は降水や表流水の滲透で上昇し、湧水や井戸からの取水で低下する。不圧地下水の利用を目的に掘った井戸は浅井戸とよばれる。浅井戸の地下水面をある広がりの中で、海抜高度になおして等値線で結ぶと地下水面等高線がえがける(図11_1、図11_2)。

図11_1 不在地下水面等高線(1985年3月)

図11_2 不在地下水面等高線(1985年7・8月)

被圧地下水は、その上限・下限を粘土・シルトなどの不透水性の地層(難透水層)によって加圧されていて、地下水面を有しない地下水である。多くの場合、被圧地下水は不圧地下水の下位に存在して、この中に井戸を掘ると、間隙中の地下水が圧力を受けているため、水面は带水層の上面より上にのぼってくる。この利用を目的に掘った井戸を深井戸という。深井戸の水面を結ぶと、不圧地下水面と同様の被圧水頭面(被圧地下水静止圧水頭面)
がえがける(図9・図16など)。

図9 地下水の存在様式模式図

図16 被圧地下水(第2帯水層)の圧力水頭(面)分布

(木野義人、1970年より作成)
この図は、関東平野中央部の大宮台地・中川低地などにおける被圧地下水の圧力水頭分布を示したものである。関東平野中央部における被圧地下水の帯水層は、主として成田層群相当層中にあるが、工業技術院地質調査所が調査した資料によると、春日部において水理地質的な層序区分を行なった結果、第1から第4までの帯水層(群)に区分できる。第1帯水層と第2帯水層との間には、厚さ40m前後の厚い泥質層があり、関東平野中央部一带によく連続し、両帯水層の地下水を区分している。
この図には、1958(昭和33)年と1961(昭和36)年当時における第2带水層の圧力水頭面の状態がそれぞれ示されている。両年時を通じて圧力水頭面の凹部は江戸川と荒川との中間を北北西〜南南東方向に伸びて、羽生付近から奥では西北西〜東南東方向に伸びている。これらの低いポテンシャルに対して、高いポテンシャルを有する地域は武蔵野台地、利根川北岸および熊谷以西などにあるが、その勾配は東京の城北・江東地区と武蔵野台地との間において最大を示している。
1958年と1961年の両年時における圧力水頭分布を比較すると、この3年間に北半部の地域では一様に2〜3mの低下を示しているが、南部では低下量が大きく、越谷・草加地区で5〜9m、川口・浦和地区ではさらに大きくて10m以上に及んでいる。このため、川口付近から荒川沿いおよび武蔵野台地東縁部にかけては、この間における圧力水頭面勾配の増大が顕著である。また、荒川沿いには新たに局地的な圧力面の谷が形成されている。
このような圧力水頭面形態の変形(低下)は、東京の城北・江東地区における極度の圧力面低下によるところが大きく、それは井戸群による被圧地下水の大量排出(揚水)によって起こっている。こうした現象は、北部より南部地域において顕著に現われている。
これらの局部的な変形方向を逆に辿って乱れのない状態を想定すれば、井戸群による排出以前の原初状態における圧力水頭面形態が図中に示すように概念的に復元することができる。

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