北本市史 資料編 原始

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第2章 遺跡の概要

第1節 荒川沿岸の遺跡

宮岡Ⅱ遺跡 (大字高尾字宮岡)
遺跡は西側の谷と、北側の小支谷に面する台地上に位置している。西側は荒川の谷で、北側は東から西の荒川に向かって複食していった小支谷である。標高は三二メートル、北側の谷との比高差は一六メートルである。遺跡の広がりは東西一キロメートル、南北三〇〇メートルである。とくに遺跡の中央部を南北に横断する道路(いわゆる農免道路)の西側に、土器片の散布が多く見られ、散布は斜面部に及んでいる。その斜面中央部を、昭和四十四年五月十日〜十二日の三日間発掘調査した。遺物は長期間水に浸っていた形跡があり、包含層も整然とした層序をなしておらず、二次堆積と判断した。縄文時代早期〜後期と、古墳時代後期の複合進跡である。

図47 宮岡Ⅱ遺跡位置図

縄文土器
第一群土器 草創期・早期の土器である。
図48の1〜5は撚糸文(よりいともん)系土器。1は口縁部の小片で外反する。口唇部は角頭状を呈し、肥厚しない。口唇部と器面に単節縄文を施文している。器面の荒れがひどく、施文原体は不明である。3〜5は胎土に砂粒や石粒を多く含み、ザラついた器面は撚糸文系土器特有の器肌を呈している。ともに淡赤褐色を呈している。3・4は撚糸文を施文している。撚糸原体は3が太目のL、4が細いRである。5は底部近くの無文部片である。器壁厚は薄い部分で三ミリ、厚い部分で六ミリである。2は口縁がわずかに膨らみを持って外反し、直下に指頭圧痕が連続し、以下膨らみを持ちながらすぼまって尖底部へ接続していくのであろう。器壁厚は四ミリと薄手である。口唇部は丸味を持っている。指頭圧痕より下部は撚糸文で、原体はRである。1は井草式。3・4は夏島式。2は稲荷原式に後続するもの。5は夏島式か稲荷台式である。
6〜9は条痕文系土器。いずれも胎土に繊維を含む他微細な浮石・石英粒を含有している。9には径八ミリの大粒な赤色チャート粒を含んでいる。文様はすべて表裏ともに条痕文で、9の裏面の条痕文はまばらに施文している。茅山下層式である。
第二群土器 前期の土器である。
図48〜50の10〜61・63は羽状縄文系土器。63は胎土に多量の繊維を含んでいる。色調は暗褐色を呈している。口縁部に条痕文を浅く施している。条方向は横である。胴部へは隆帯風に少し高くなって移行している。胴部の文様は、へラによる縦沈線を乱雑に施文している。裏面にも条痕文を施している。花積下層(はなづみかそう)式である。
10〜61は二ッ木式と関山式である。いずれも胎土に繊維を多量に含む他、微細な浮石を含有している。10は波状口縁を呈する深鉢である。口縁は外反する。細い隆帯を口縁端部と一センチぐらい下とに二本めぐらし、隆帯上にキザミを加えている。キザミはへラ状具により深く刻まれ、視覚的には粒が連続しているような施文効果を出している。二本の隆帯を連接するように瘤を貼付している。さらに下端の隆帯に接続するように半円状に二本の隆带を貼付している。この隆带は細目で、やはりキザミを加え、二本の隆帯を連接するように頂部と交点に瘤を貼付している。以下ループ文となるが、原体は不明である。11も口縁部文様帯下半の破片で、幅広の隆帯にキザミを加え、主幹文様としている。隆帯の交点に瘤を貼付している。主幹文様間の空白部に円形竹管文を施している。12は波頂部片で、頂は平らである。口唇部は内そぎである。半截(はんさい)竹管による平行沈線で主幹文様を描き、交点に瘤状貼付文を配している。13は口縁部文様帯の下端で、刺突列で文様帯を画している。瘤を貼付している。以下太いループ文となる。14は口縁が外反する深鉢。口唇部は丸い。縄文はRLの単節である。15は口縁が直口する大口径の深鉢。口唇部は丸みを持っている。全面にループ文を多段施文している。16は口縁が外反する深鉢。口唇部はやや丸みを持ち、沈線を八の字形に施文している。繩文はRLの単節である。17〜30・35・36・38はループ文を多段施文した胴部片である。器壁厚は20が七ミリ、23が八ミリ、28が九ミリとやや薄手で、他は18を代表に一〇〜一三ミリと厚手である。縄文原体ほR LとL Rの二本を使い、ループ文を多段施文するが、ほとんどループ部分だけを施文するものと、わずか足も施文するものとがある。一般に0段二条の太い原体である。31・32・33・36・37・39・40は単節の羽状縄文で、37・39はRLとLRを結束一種としている。33は器壁厚六ミリと薄手で、組紐手法による組縄文である。34・41・42は結節縄文である。
43は直前段反撚りの正反の合の縄文が施されている。最終撚りが右と左の二本を用い、羽状に施文している。44はループ付単節縄文を羽状に施文し、輪積み接合部の上あたりに櫛状工具によるコンパス文を施している。上端の縄文は0段三条のRLである。45は波状口縁で、外反する深鉢。波頂部が膨らむ。口唇は内そぎである。地文の縄文を施文後、口縁に櫛状工具によるコンパス文をめぐらしている。46は貝殻背圧痕(かいがらはいあつえん)文を全面に施文している。48は口縁が外反する深鉢。口唇は内そぎである。地文に異節縄文を施した後、口縁に櫛状工具によるコンパス文をめぐらしている。47は片口注口部片である。口縁部に小突起を貼付している。縄文は組紐で、原体はLLRRである。49・52・53は、組紐縄文を施文した後、櫛状工具によるコンパス文を、タガ状にめぐらしている。組紐の原体は52がLLLL、53がRRLLである。51・54は組紐縄文のみを施文している。54の原体はLLRRで細かい組紐である。54は左端が少し膨らんでおり、片口になるのかもしれない。50は紐縄文による異節を全面に施文している。55〜61は底部片である。55はあげ底の底面のみ、単節縄文RLを施している。56は底部際で、器面には原体不明の単節縄文、あげ底の底面には貝殻背圧痕文が施されている。貝殻背圧痕文は、殻頂部近くで施文している。57も底部際片で、器面は単節縄文RLを施し、あげ底の底面には貝殻背圧痕文を施文している。貝殻背圧痕文は、殻頂部でまわりを施文し、殻の中央部で内側を施文している。58は器面に原体不明の純文を施文し、あげ底の底面には縄文と貝殻背圧痕文の両方を施文している。59は底面のみで、太いLRの縄文を施文している。60は器面に原体不明の縄文を施文しており、底面にはRLの単節縄文を施文している。61は高台に近いくらいの上げ底を呈しており、底部際が屈曲して外反している。器面は組紐縄文で、原体は不明である。10・11・17〜32・34・35・37〜42は二ッ木Ⅱ式。12〜16・36は関山I式。43・44・46は関山Ⅱ式。33・45・47〜54・61は関山Ⅲ式。
第三群土器 中期の土器である。
図50の62・64〜68は加曽利EⅡ〜Ⅲ式。62は太い沈線間を細い沈線を斜行させて施文している。それぞれの沈線間ごとに右傾と左傾とを交互にし、鋸歯状に施文している。64は両耳壺の文様帯下端的な器形を呈している。口縁部文様帯には縄文を施文し、低い隆起帯で口縁部と胴部文様帯と分ち、胴部には櫛状工具による細い条線を施文している。65・67は沈線と縄文とで文様を施文している。65は地文の縄文の上にU字状の沈線を施文している。66は沈線のみを施文している。68は底部近くの破片で、櫛状工具による細い条線を施している。
第四群土器 後期の土器である。
図51の69〜86は堀之内I式。77のみが屈曲が強く甕であり、他は口縁が外反する深鉢である。色調は明褐色~暗褐色を呈している。胎土に砂粒等を含むが概してこまかい粘土で、整形・焼成ともよく、堅緻な感じがする破片が多い。文様はすべて沈線のみで描出しており、口縁部文様带はいわゆる縁帯文であり、一本の沈線と円形沈刻とで施文している。
石器
図51の87は打製石斧。撥(ばち)型を呈している。石材はフォルンフェルス。全長一〇・九センチ。片面は自然面で、えぐり部と刃部を調整している。88は磨石。石材は安山岩。よく磨耗している。89は大形の石鏃。長さ三・一センチ。幅二・二八センチ。石材はチャート。左端は石の目で割れたもので、これから薄く調整するっもりであったのだろう、裏面に小さなリタッチが残っている。下端も切断したままである。未製品である。
土師器
図52・91・94は坏。90は口径一一・四センチ。器高三・四センチ。胎土に微細な石粒を含んでいる。色調は赤茶褐色。丸底状を呈し、体部はやや外傾して立ち上がる。底部はへら削り、体部側面は横方向へのへら削りの後ナデ、内面は全面ナデを施している。91の口径は一一・二センチ、器高三・五センチ。色調は黒褐色を呈している。口縁部はやや外反して立ち上がり、底部は丸底状を呈している。体部はへラ削り、口縁部と内面はナデを施している。94の口径は一四センチ。色調は赤茶褐色で、内面に赤彩がなされている。口縁部は短かく、わずかに外反し、下部に稜(りょう)をもつ。体部はへラ削り。口縁部と内面は横方向のナデを施している。92は埦。口径一〇・八センチ。器高九・四センチ。胴部最大径一三センチ。胎土に砂粒を含んでいる。色調は暗茶褐色であるが、底部はススが付着し、黒色を呈している。口縁はほぼ垂直に立ち上がる。胴部は球状で、底部は丸底状を呈する。外面はへラ削りで、内面はナデを施している。93は甕。推定口径一四・六センチ。胎土に微細な石粒を含んでいる。色調は外面が黒褐色、内面が淡茶褐色を呈している。口縁は外湾して立ち上がり、胴部は丸味を持つであろう。口縁部と内面はナデを施し、体部はへラ削り、内面にハケ目が残っている。93は和泉(いずみ)式。90~92・94は鬼高I式。

写真21 宮岡遺跡群航空写真

写真22 宮岡Ⅱ遺跡発掘調査風景

図48 宮岡Ⅱ遺跡出土遺物拓影図(1)

図49 宮岡Ⅱ遺跡出土遺物拓影図(2)

図50 宮岡Ⅱ遺跡出土遺物拓影図(3)

図51 宮岡Ⅱ遺跡出土遺物実測図及び拓影図

図52 宮岡Ⅱ遺跡出土遺物実測図(5)

写真23 宮岡Ⅱ遺跡現状

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