北本市史 資料編 原始

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第2章 遺跡の概要

第1節 荒川沿岸の遺跡

城中I遺跡 (大字高尾字城中)
遺跡は、樹枝状に分かれた小支谷の最奥の谷頭を西に見下ろす台地上に位置している。この谷は南西方向に開析していき、荒川との合流点が開口部である。標高は三〇メートル、台地直下の谷底との比高差は四〜五メートルである。遺跡の広がりは南北一一〇メートル、東西一〇〇メートルである。
遺跡の北端が北本市立西部公民館の建設用地に含まれ、昭和六十一年三月十七日〜十八日に試掘調査を実施した。出土遺物は縄文時代から近代にまで及んでいるが、その量は少なく、本調査は実施していない。
図82の2は縄文土器。色調は淡褐色を呈している。胎土に砂粒・石英粒・チャート粒を含んでいる。焼成は良く、ヌメッとした器肌である。単節縄文を淡く施している。縄文原体はRLである。前期末か中期初頭であろう。

図80 城中Ⅰ遺跡位置図

図81 城中Ⅰ遺跡出土遺物実測図(1)

図81の1は石皿。昭和四十年頃に採集したもので、北本市の指定文化財である。縁部に僅かな欠損があるが、完形である。石材は灰黒色を呈した安山岩である。平面形は長方形で、各辺は僅かに膨らみを持っている。三方に縁を作り出し、一方を搔き出し口としている。側面はほぼ直立で、頭と口の裏側を湾曲を持って削っている。外形の大きさは全長三一・八センチ。幅は頭で一七・九センチ、ロで一六・八センチ。 高さは最高位で八・七五センチである。内側の皿部分は長径二八・三センチ。幅は頭で一二・四センチ、ロで一一・三センチである。口縁の立ちあがりは、内側から計測して一・二~一・七センチである。全体を細かく敲いて形を作っている。皿面はよく使用されて磨耗している。頭の縁直下や口の部分は磨かれておらず、当初の敲目が残っている。中央の最も磨耗した部分は、深さ七ミリである。裏面は、頭と口の裏側部分が削られているために、中央に長方形の突出部が作り出され、その四隅を削り出して足としている。中央部に小孔を一〇個前後穿(うが)っており、凹石としても使用している。小孔の径や深さは一定していない。図82の3は石皿の断片。石材は淡緑褐色を呈した安山岩である。1に比し、軟質な石材である。現存長二〇・八センチ。幅八・二センチ。高さ四・九センチ。現存縁高より皿面まで一・五センチである。皿面は縁の立ちあがりまでよく磨耗している。裏面には細い敲目がそのまま残っている。ともに縄文時代後期である。

図82 城中Ⅰ遺跡出土遺物実測図(2)

5・6は内耳(ないじ)土器。5は推定口径三四・六センチである。口縁は外反し、器面はへラ削り整形である。ススが付着している。6の推定口径は三六・ハセンチである。口縁は外反する。器面は親指で強く押し引いて整形しており、凹凸がはげしい。破片右端に補修孔が貫通している。ススが付若している。内側は、中位に凹線がめぐっている。耳は欠失している。
4は筒状を呈し、端部にピッチが付着している。炭窯の煙出し口である。現存長一一・六センチ。近くに炭窯があったものであろう。
その他室町時代後期の板碑が二点、中世のすり鉢片・瓦器片・常滑(とこなめ)焼陶片。近世の瀬戸焼陶片、伊万里焼磁器片、近代の印判手の磁器片が出土している。

写真41 城中Ⅰ遺跡現状


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