北本市史 資料編 原始

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第2章 遺跡の概要

第1節 荒川沿岸の遺跡

八重塚遺跡 (大字荒井字南)
遺跡は、東・北・西側の三方が小支谷に囲まれた台地上に位置している。標高は二七メートル弱である。農林水産省農事試験場であった頃は、試作畑だったところで、削平されて広大な範囲が平坦地となって旧地表面の特徴は失なわれている。この台地の北西端が八重塚古墳群であり、台地の基部が堀ノ内館跡である。遺跡の広がりは東西三七〇メートル、南北三〇〇メートルである。北里メディカルセンター建設に先立ち実施した範囲確認調査で、地点により遺構・遺物に粗密があることを把握し、四区に分かちその後の発掘調査を進めた。東端をA区、湾入している小さな谷の北東地点をB区、同じ谷の南側をC区、西端をD区と呼称した。
発掘調査は昭和六十一年九月一日~昭和六十二年二月十七日に実施した。遺物等は整理途上であり、調査成果のなかからトピックを掲する。

図93 八重塚遺跡位置図

A区(詳細はクリックしてご覧ください)
樹枝状に分れた谷の谷頭のひとつを東に見下す台地上に位置している。
検出した遺構と遺物は、旧石器時代の黒耀石(こくようせき)製ナイフ形石器一点と打製石斧二点、縄文時代中期の住居址一軒、土坡一八基、ピット五〇基、弥生時代末から古墳時代にかけての住居址六軒である。

図94 八重塚遺跡A区全測図

旧石器時代
図95の1は小形のナイフ形石器である。石材は透明度の高い黒耀石である。全長二・六七センチ。幅一・〇六センチ、厚さ三・八五ミリである。湾曲の強い小形のフレークを使用している。打点は先端方向である。右側縁全体に調整剝離を行なっている。左側縁上半を刃部とし、下半に細かい調整剝離を入れている。一号住居址の四層から出土したもので、他の石器との共伴等は不明である。2・3は打製石斧である。残念ながらやはり二次堆積土からの出土で、層位と伴出遺物については不明である。石材はともに頁岩である。2は全長七・一七センチ、幅四・四センチ、厚さ一・七六センチである。3は全長七・六六センチ、幅三・九三センチ、厚さ一・九三センチである。自然面は艶やかな茶褐色を呈している。深い剝離面は灰褐色を呈し、浅い剝離面は茶褐色を呈している。剝離は荒く、硬い石材に手こずった様子がうかがえる。2は片面のみの調整で、3は右側縁の膨らんだ部分とその上下が厚くなったため、裏面からも調整剝離を加えている。先端は使用による折損である。旧石器時代終末の石斧である。
縄文時代
八号住居址
平面形 不整円形
規 模 長径五・〇九メ ートル、短径四・九八メートル、壁高二四センチ
炉 跡 位置は中央よりやや西。長径一・九二メートル、短径一・二六メートル。南側に埋設土器
ピット 主柱穴は五本。他に小ピットが十一個ある。
遺 物 炉体土器の他は器形を推定し得る一個を含む破片。大形礫一個

図95 八重塚遺跡A区出土遺物実測図

時 期 加曽利EⅡ式期
補 足 写真45は、炉体に使われた深鉢で、底部を欠いている。口縁は平らで、突起を四つ付けている。短い口縁は内湾し、頸部に太い隆帯をめぐらし、八か所に突起を付けている。櫛状工具による条線を口縁部と頸部隆帯より下部とに分けて施している。施文具は最大幅二・二センチ、櫛目九本であるが、平均して一・七センチ、六〜七本を施文している。逆時計廻りの施文である。

写真45 八重塚遺跡A区8号住居址出土遺物

写真46 八重塚遺跡A区8号住居址

図96 八重塚遺跡A区8号住居址実測図

二号土墉
平面形 楕円形
規 模 南北一六三センチ、東西一〇六センチ、深さ二四センチ、最深部四四センチ
主 軸 長軸の方向は南北
遺 物 深鉢ー
時 期 称名寺(しょうみょうじ)Ⅱ式期
備 考 北側の深いピットの上方より深鉢が出土した。平均床面のレベルである。深鉢は口径三一・六センチ、現存高二〇センチ。胴下半を全く欠き、上半三分の二が遺存している。口唇上に二個対の突起を付けている。文様は沈線文により描かれ、刺突文はない。三号土壙との距離は七〇センチである。
三号土壙
平面形 やや楕円形
規 模 長径一二四センチ、短径九八センチ、深さ三五センチ
主 軸 長軸の方向はN—80°ーW
遺 物 土器片
時 期 称名寺Ⅱ式期
補 足 二号土壙の東七〇センチに位置している。
一四号土壙
平面形 円形
規 模 長径七二センチ、短径六七センチ、深さ十五センチ
遺 物 土器片
時 期 加曽利(かそり)EⅢ式期
一五A号土壙
平面形 円形
規 模 南北五八センチ、東西約五五センチ、深さ一四センチ
遺 物 深鉢胴下半一、破片
時 期 加曾利E式
補 足 東側が一五B号土壙によって壊されている。土器は深鉢形土器の口縁部真下から底部まで遺存している。地文に単節縄文RLを施し、頸部より上はU字形の磨消縄文帯を入れている。遺存状態のよい部分ではU字状磨消帯は上部で巻き、逆J字状を呈している。頸部より下部には逆U字状の磨消部を七つ入れている。一か所は頭は巻いているが沈線だけで、施文がくるっているか所がある。

図97 八重塚遺跡A区2・3・12号土壙実測図

図98 八重塚遺跡A区14・15号土壙実測図

一五B号土壙
平面形 楕円形
規 模 長径八九センチ、短径約六七センチ、深さ二五センチ
主 軸 Nー7°ーW
遺 物 両耳壺二分の一個体と破片若干
時 期 加曽利EⅢ式期
補 足 一五A号土壙(どこう)を一部壊して、ピットを穿(うが)っている。土器はピット底面より二〇センチ浮いている。同一個体の破片はその下からも出土している。耳は剝落しているが、両耳壺(りょうじつぼ)である。口縁部を無文とし、太い隆帯をめぐらし、文様帯を画している。胴上半から下半にかけて細い無節の縄文Lを施している。

写真47 八重塚遺跡A区15A号土壙出土遺物

写真48 八重塚遺跡A区15A・B号土壙出土遺物

一六号土壙
平面形 不整楕円形
規 模 長径(南北)一四八センチ、短径(東西)一三五センチ。中段の深さ一二センチ。内側ピットの長径七八センチ、短径七五センチ、深さ三八センチ
遺 物 土器片
時 期 縄文時代中期
弥生時代
一号住居址
平面形 隅丸方形
規 模 長径(南北)四・四八メートル、短径(東西)三・七八メートル、壁高二二センチ
主 軸 主軸の方向はNー5°ーW
炉 跡 位置は中央より北東より。長径七〇センチ、短径四八センチ
床 面 一部に貼床がある。
ピット 主柱穴は三本。他に主軸線上中央より北に寄って一つ、南壁東よりに一つある
遺 物 鉢一、台付甕大形破片(欠山式)、破片若干
時 期 前野町式期
補 足 写真49・図100は台付甕である。色調は橙褐色を呈している。胎土に砂粒を多量に含んでいる。口縁部から胴上半部までが、四分の一周遺存している。刻み目を持つS字状口縁で、口縁の内外をヨコナデしている。刻み目の幅は五ミリ程で、内に線の入る工具で施文している。肩部に横線が入り、五センチ位で休止しながら、上から見て時計廻りに横線のハケ目を入れている。タテハケと横線が交差し、タテハケ→横線→ヨコハケとくりかえしている。内部は下から上へナデあげている。A種のS字状口縁をもつ甕で、欠山(かけやま)式である。

図99 八重塚遺跡A区1号住居址実測図

写真49 八重塚遺跡A区1号住居址出土遺物

図100 八重塚遺跡A区1号住居址出土遺物実測図

写真50 八重塚遺跡A区1号住居址

二号住居址
平面形 隅丸方形
規 模 長径五・〇八メートル、短径四・六四メートル、壁高三六センチ
主 軸 主軸の方向はNー25°ーW
炉 跡 位置は中央東寄り。長径一〇四センチ、短径八一センチ
床 面 普通
ピット 主柱穴は不明。西北コーナーと東壁に各一つピットがある。西北コーナーのピットは、壁の内側へ繰り込んで穿(うが)っている。
遺 物 壺片ー、他は破片
時 期 前野町式期
補 足 図102は壺形土器頸部片で、ほぼ一周する。肩部に網目状撚糸文(よりいともん)を施している。原体は糸状の撚糸Lを用い、S巻後Z巻にし、末端をしばっている。原体の長さは二・四センチで、二段に施文している。

図101 八重塚遺跡A区2号住居址実測図

写真51 八重塚遺跡A区2号住居址

図102 八重塚遺跡A区2号住居址出土遺物実測図

三号住居址
平面形 隅丸方形
規 模 長径三・七五メートル、短径三・四五メートル、壁高一四センチ
主 軸 主軸の奉公はNー25°ーE
炉 跡 位置は中央より僅かに北東寄り。
床 面 炉の東ー南ー南西が貼り床
ピット 不明
遺 物 壺口縁部ー、變大形破片一、台付弛台部Ⅰ、台付甕(欠山式)大形破片ー
時 期 前野町式期
補 足 南側の一部が攪乱(かくらん)を受けているのと、東側に試掘時のトレンチが縦断し、覆土部分の詳細さを欠いている。写真52・図104は欠山式の台付甕破片である。一号住居址出土の欠山式台付墾と同手で、色調・胎土・文様・器形すべて同じである。

図103 八重塚遺跡A区3号住居址実測図

写真52 八重塚遺跡A区3号住居址出土遺物

図104 八重塚遺跡A区3号住居址出土遺物実測図

五号住居址
平面形 隅丸方形
規 模 長径三・七一メ—トル、短径三・四二メートル、壁高三〇センチ
主 軸 主軸の方向はNー40°ーW
炉 跡 位置は中央よりやや東寄り。焼土の範囲は長径六一センチ、短径五二センチ
ピット ピットは八個あるが主柱穴は不明
遺 物 土器破片若干
時 期 前野町式期
補 足 口縁に刻み目のある台付甕片等が出土している。

写真53 八重塚遺跡A区5号住居址

図105 八重塚遺跡A区5号住居址実測図

六号住居址
平面形 隅丸方形
規 模 長径五・三二メ—トル、短径四・八〇メートル、壁高二八センチ
主 軸 主軸の方向はNー30°ーW
炉 跡 位置は主軸線上中央から北北西にかけて
ピット 主柱穴は四隅に四本。深さはそれぞれ三〇センチ、他にピット七がある。
遺 物 台付甕底部一、高坏片一
時 期 前野町式期
補 足 住居址中央を、東西に走る溝によって切られている。

図106 八重塚遺跡A区6号住居址実測図

写真54 八重塚遺跡A区6号住居址

七号住居址
平面形 隅丸方形
規 模 長径三・二六メートル、短径二・八五メートル、壁高三二センチ
主 軸 主軸の方向はNー28°ーW
炉 跡 位置は中央よりやや北寄り。長径六二センチ、短径四三センチの楕円形
床 面 水平。中心部は良く踏み固められていた。
柱 穴 主柱穴は不明。深さ六〇センチの小ピットが二個ある。
遺 物 広口壺一。高坏脚部片二
時 期 前野町式期
補 足 壺形土器はなで肩で、縦位のハケ目整形を施し、ヨコナデし、部分的にハケ目が消えている。口縁にキザミ目の入る甕の口縁部が出土しえいる。

図107 八重塚遺跡A区7号住居址実測図

写真55 八重塚遺跡A区7号住居址

写真56 八重塚遺跡A区7号住居址遺物出土状態


B区(詳細はクリックしてご覧ください)
逆従に北西方向へ浸食してできた谷から、東へ小さく湾入した谷の谷頭の北東部に立置している。
検出した遺構と遺物は、旧石器時代のサイドブレードとフレーク及びチップ等、縄文土器片、古墳時代前期の住居址四軒である。

図108 八重塚遺跡B区全測図

旧石器時代
図109の1はサイドブレードである。石材は頁岩(けつがん)。全長五・四センチ、幅二・三二センチ、厚七・五ミリである。縦剝ぎのきれいなプレードを使用し、両サイドの中央に細かい剝離を入れている。バルブは裏面上端にある。表には中央に稜(りょう)が入る。腐植土層中より出土した。大里ローム層中より南北三・六メートル、東西二・八メートルの範囲から石片が出土した。大形礫(コア)一点、フレーク二三点、チップ一四点で、石材はすべてチャー卜である。

図109 八重塚遺跡B区出土遺物実測図

写真57 八重塚遺跡B区出土遺物

古墳時代
一号住居址
平面形 隅丸長方形
規 模 長径四・九八メートル、短径四・二四メートル、壁高二六センチ
主 軸 主軸の方向はNー53°ーW
炉 跡 位置は中央よりやや南東寄り。長径八六センチ、短径七六七ンチ
床 面 壁直下に壁溝がめぐる。北東壁と西北壁の一部でとぎれている。西北壁から南西壁にベッド状に床が高くなっている。幅は不均等であるが、最大幅五〇センチである。
ビット 主柱穴は不明。北側コ—ナーに柱穴様ピットがある。深さ三四センチ。東南壁近くに大きなピットが一つある。
遺 物 小形高坏ー、破片若干
時 期 五領式期
補 足 小形高坏は、口径七・四五センチ、高さ四・〇五センチ、坏部高二・三センチ、脚部の広がりは五・〇五センチである。色調は赤褐色を呈している。丁寧にへラ磨きを施している。小破片であるが同手の高坏がもう一個体ある。

写真58 八重塚遺跡B区1号住居址

図110 八重塚遺跡B区1号住居址実測図

写真59 八重塚遺跡B区1号住居址遺物出土状態

写真60 八重塚遺跡B区1号住居址出土遺物

二号住居址
平面形 隅丸長方形
規 模 長径五・三八メートル、短径四・四六メートル、壁高一〇センチ
主 軸 主軸の方向はNー30°ーW
炉 跡 住件は主軸線上で南壁近くである。
床 面 中央に細長く貼床がある。
ピット 全部で七つを検出した。主柱穴は不明である。
遺 物 破片若干
時 期 五領式期
補 足 破片のなかに壺形土器の口縁部片がある。複合口縁で、キザミのある棒状隆起を五本貼付けしている。内外を赤彩している。

写真61 八重塚遺跡B区2号住居址

図111 八重塚遺跡B区2号住居址実測図

三号住居址
平面形 方形
規 模 長径六・二九メートル、短径六・二七メートル、壁高四〇センチ
主 軸 主軸の方向はNー39°ーE
炉・カマド 北東壁の中央より東に寄ってカマドが付設されている。炉跡も中央とやや北東によった所と二か所にある。
床 面 壁溝がカマドの下も含めて全周する。
ピット 主柱穴は四本。深さ約八〇センチ。カマドの右側に貯蔵穴がある。
遺 物 甕三・壺一・埦一・坏一・坩一・滑石製模造品(かっせきせいもぞうひん)一・鉄片一・臼玉(うすだま)二・他土器破片
時 期 和泉式期
補 足 カマドは淡褐色の粘土を用い、補強材として高坏の破片が埋め込まれていた。右袖部七〇センチ×三〇センチ。左袖部七〇センチ×四五センチ。壁の上に若干テラス状につくりだして、天井部が架かっている。
出土遺物は貯蔵穴周辺に集中し、坩(かん)は西隅からの出土である。ほぼ一軒の生活に必要なものがそっくり残っていた。滑石製模造品(かっせきせいもぞうひん)は剣形石製品である。

写真62 八重塚遺跡B区3号住居址

図112 八重塚遺跡B区3号住居址実測図

図113 八重塚遺跡B区3号住居址カマド実測図

写真63 八重塚遺跡B区3号住居址カマド出土状態

写真64 八重塚遺跡B区3号住居址遺物出土状態

写真65 八重塚遺跡B区3号住居址出土遺物

四号住居址
平面形 隅丸長方形
規 模 長径六・三六メートル、短径五・五八メー卜ル、壁高二五センチ
主 軸 主軸の方向はNー22°ーW
炉 跡 位置は主軸線上で、中央より南南東による。長径一〇四センチ、短径六六センチの楕円形
床 面 南西辺から東方コーナーへの壁際に、幅約八〇センチほどの高まりがベッド状に残る。
ピット 主柱穴は四隅に四本、他にピット二がある。
遺 物 土器破片若干
時 期 五領式期

写真66 八重塚遺跡B区4号住居址

図114 八重塚遺跡B区4号住居址実測図


C区(詳細はクリックしてご覧ください)
東から西に小さく浸食してできた支谷の谷頭の南側に位置している。
検出した遺物 旧石器時代ポイント、縄文土器片。

旧石器時代
図115・写真67はポイントである。石材は透明度の高い黒耀石(こくようせき)。小型の柳葉型を呈し、入念な調整剝離(はくり)を施してい
る。調整剝離は浅斜度の押圧剝離により両面調整しており、右側縁部では基部から先端へ向い、左側縁部では先端部から基部へ向っていることから、調整剝離を施しながら前後に回転して形成している。

図115 八重塚遺跡C区出土ポイント実測図

写真67 八重塚遺跡C区出土ポイント

図116 八重塚遺跡C区全測図


D区(詳細はクリックしてご覧ください)
台地西端で、西側が逆従の小支谷、北側にさらに小さな支谷が入って、西北に向けて突出した台地の西縁台地上に位置している。検出した遺構と遺物は、旧石器時代のポイントニ点と剝片(はくへん)他、縄文土器、平安時代の住居址一軒と住居址に伴う土師器(はじき)と多量の須恵器坏(すえきつき)である。

図117 八重塚遺跡D区全測図

旧石器時代
黒耀石製のポイント二点が出土している。
一号住居址から出土したもので、本来の層位ではない。図118・写真68はやや横長の剝片を素材とし、表面には自然面を残している。基部から先端部に向って調整剝離を施す傾向にあり、右側縁部より剝離を施している。先端部を欠損したため、未製品のまま廃されたものである。この他もう一点黒耀石製のポイント片が出土している。右側縁部に不純物があって、製作中に中央部で折断してしまい、やはり未製品のまま廃されたものである。

図118 八重塚遺跡D区出土ポイント実測図

写真68 八重塚遺跡D区出土ポイント

平安時代
一号住居址
平面形 長方形
規 模 推定長径四・四メートル、短径三・六メートル、壁高五四センチ
主 軸 主軸の方向はNー65°ーE
炉・カマド 北東壁に力マドが設けられていたが破壊されている。壁直下に溝がめぐる。
床 面 東南部の床が硬く踏み固められている。
ピット 主柱穴は不明、中央よりやや南西によって楕円形のピットが一個ある。
遺 物 須恵器坏二五・須恵器琬一・土師器坏四・小形台付甕一・刀子(とうす)一・砥石一・炭化米塊である。
時 期 国分式期
補 足 住居址は、東側が攪乱(かくらん)で失っている。多くの焼土や炭化した木材が出土し、火災で焼け落ちた住居址である。小形台付甕は住居のほぼ中央から出土し、刀子はカマドの左から、砥石はカマドの右手前から、炭化米塊は北壁近くから出土している。炭化木材による放射性炭素による年代測定ではAD八六〇年頃の年代が出た。
須恵器坏の底部には、糸切底とへラ切底との二種があり、へラ切坏は少ない。

写真69 八重塚遺跡D区1号住居址

図119 八重塚遺跡D区4号住居址実測図

写真70 八重塚遺跡D区1号住居址出土土師器小型台付甕

写真71 八重塚遺跡D区1号住居址刀子出土状態

写真72 八重塚遺跡D区1号住居址出土土師器杯

写真73 八重塚遺跡D区1号住居址出土須恵器杯


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