北本市史 資料編 原始

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第2章 遺跡の概要

第2節 江川流域の遺跡

大宮台地には、台地から発する幾つもの河川がある。江川は、それらの中でも綾瀬川・芝川・鴨川についで四番目に大きい川である。その源を鴻巣市原馬室や滝馬室に発し、北本市の中央部の西側を通ったあと、桶川市に入って川田谷と上・下日出谷の境を流れ、字樋詰(ひのつめ)で荒川に合流する。大宮台地の西部を南流し、幹川(かんせん)流路の延長は約九キロメートルに達する。
幹川の東側と西側には、樹枝が枝分かれするように多くの支流をもち、流域には見事な樹枝状谷を発達させている。支流の先頭部は八ツ手状に分かれ、複雑で入り組みの多いこの樹枝状谷は、大宮台地のなかでも典型的な樹枝状の台地谷である。北本市内における流域の標高は、谷底で一四~二三メートル、台地上で二〇~三一メートルである。流域の範囲は、東は中山道のあたりまで広がり、西は下石戸上・下に及んでいる。
遺跡は、これらの幹川・支流沿いの台地上または支谷の斜面、または湧水の発現地周辺に立地し、江川の左岸側(東側)で一五か所、右岸側(西側)で五か所を数えることができる。時代的には、旧石器時代から平安時代のものまであるが、縄文時代に属するものが圧倒的に多く、ついで奈良・平安時代、弥生・古墳時代となっている。立地の傾向としては、縄文時代のものは支流沿いに多く、弥生・古墳時代のものは幹川沿いに多い。奈良・平安時代のものは全域の台地上に多い傾向を示している。

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