北本市史 資料編 原始

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第2章 遺跡の概要

第2節 江川流域の遺跡

台原Ⅲ遺跡 (大字下石戸下字台原)
江川の最上流部は、二筋の細長く浅い谷がY字状に分かれ、それぞれ北方へのびるが、この遺跡は、両支谷が分岐する付近の東側台地斜面に立地している。標高は二〇~二三メートルほどで、谷地との比高差は二~四メートルである。現在では、宅地・畑が大部分を占め、一部が山林となっている。
図188および図189は、ゴミ捨穴を掘っている際に土壙と思われる穴から偶然発見された土器の実測・拓影図である。図188は、縄文時代の後期初頭の称名寺(しょうみょうじ)式土器である。胴部が少し張り、口辺部が少し開き気味に立ち上がる甕(かめ)形土器であるが、胴下部から下を欠損している。文様は、LRの縄文の中に雲形(くもがた)定規風な沈線で縦長の区画をつくり、区画外は磨り消すというものである。
称名寺式土器には、大形のものが多いが、本例も口径が三六・六センチもある大甕である。用途は、ドングリ・栗など堅果(けんか)類の貯蔵または水甕などに使用されたものと想像される。
図189も、称名寺式土器の破片であるが、沈線が直線的であったり、磨(す)り消し部が小さいなど、加曽利(かそり)E式土器の文様傾向を漂わせている。

図187 台原Ⅲ遺跡位置図

図188 台原Ⅲ遺跡出土遺物実測図

写真99 称名寺式土器出土状況

図189 台原Ⅲ遺跡出土遺物拓影図

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