北本市史 資料編 原始

全般 >> 北本市史 >> 資料編 >> 原始

第2章 遺跡の概要

第2節 江川流域の遺跡

下石戸下遺跡 (本町一丁目)
江川の最上流部は、二筋の細長く浅い谷に分かれているが、この遺跡は東側の支谷沿いに立地しているものである。現地は北本市役所のすぐ裏手にあって、標高は二三メートルあり、谷の低地との比高は一・五~二メートルである。現状は宅地に変わりつつあるが、昭和四十年代ころまでは山林と畑地が多かった。
遺跡の大半はすでに損壊されているが、現在までの開墾や試掘調査によって、拓本で図示したような土器類が採集されている。それらによれば、この遺跡は縄文時代の中期を中心とした集落跡であることがわかる。立地上の特徴としては、比高の少ない位置に立地しているのが珍しい。
図191の1は、甕形土器のなかでもキャリパー形をした土器の口辺部の実測図である。文様の構成は、隆起文と沈線で長方形に囲んだ中に縄文(LR)を転がし、文様帯下辺には連続刻み目文を付している。この土器の型式は加曽利(かそり)E式でも古い時期に属するものであろう。2はロ縁部が開く深鉢形土器の拓影図で、頸部のわずかなくびれ部に二本の沈線をまわしている。文様は縄文を浅く転がしたあと、櫛状工具で斜めまたは縦に太い条線文を描いている。これらの用途は食糧の貯蔵用と考えられる。
図192は縄文時代中期の土器片の拓本である。1~4は勝坂式の土器で、2は隆起文上に爪形文を付しているのを特徴としている。3は鋸歯(きょし)文、4は阿玉台(あたまだい)式の角押文(かくおうもん)であろう。5~25は加曽利EI・Ⅱ式土器の甕の破片である。文様の特徴としては、太目の縄文と丁寧に付された隆起文とセットで走る沈線である。
図193も縄文時代中期の土器片の拓本である。上四列が細い条線文を粗く施文した加曽利EI式土器であり、器形は甕形である。下の三列は口縁部に太い櫛描文を施文した甕形で、型式は中部山岳地方に多い加曽利式系統の土器であり、加曽利EⅡ式期である。
図194も甕形土器の破片の拓本で、1~10は加曽利EⅠ・Ⅱ式土器である。地文としては1~3、7・9が縄文であるが、4・5・6・8・10は撚糸文(よりいともん)である。11は加曽利EⅡ式または晩期の安行(あんぎょう)ⅢC式の可能性もある。12~19は加曽利EⅢ式として分類されるもので、12には流水状の平行沈線文が施され、他には縄文・撚糸文と沈線または隆起文とが一緒に施されている。2〇~22は加曽利E式期の土器(甕)の底部であり、底面が平らで大きい。このことは、土器自体が大きかったことをよく表わしている。
図195の大部分は加曽利EⅡ・Ⅲ式に分類される土器である。文様の特徴としては太い縄を転がした縄文、太くて低い隆起文、太くて浅い沈線があげられる。19は縄文時代後期の称名寺式(加曽利EⅣ式に後続)、20は加曽利EⅣ式と考えられる。
図196は、直径五〇センチにも達する大形土器の破片の拓本である。1~8は口縁部の破片で、太い沈線を窓枠状に区画し、その中に太い縄文をうめている。3のように沈線を丸く囲んだようなものもある。隆起文は低く帯状に変化している。色調は灰褐色・茶褐色・赤褐色をしている。9~14は胴部の破片で、縄文の中に二〜四本の沈線をたてに引き、その部の縄文を消すという、いわゆる磨(すり)消し手法をとっている。全体的に厚手で、内側はよく磨かれている。9~13は同一土器の破片であろう。型式はみな加曽利EⅢ式と考えられる。用途としては、水甕またはドングリ・クルミなど堅果(けんか)類の貯蔵用土器と考えられる。
図197は、加曽利EⅢ式から称名寺式土器にかけての破片の拓本である。1・2・7は称名寺式で、太い弧状沈線と円文・列点文などを特徴としている。4~6・17・18は口辺部に円文を施した加曽利EⅢ式土器であろう。他の土器も同型式であるが、縄文は細いものと太いものとがある。
以上のように、下石戸下遺跡の土器は、縄文中期の前葉から後期の初頭にかけてが中心であり、大宮台地北部の当時期の土器の変化をたどる貴重なものであるとともに、集落の形成・移動、集落間の交流を研究するうえで参考となる資料である。この時期に該当する近在の集落としては、同一水系の南方約四キロメートルの桶川市高井遺跡がある。高井遺跡は、江川水系流域の最大にして、中心的な集落跡であるので、下石戸下遺跡と何らかの交流があったはずである。
図198は、下石戸下遺跡から出土した石器の実測図である。1は上部を刃先とし、下部を柄に装着しやすいようにできている。木を削る工具ではないかと思われる。2は、砥石であろう。両面が平らにすられている。砂岩製である。3は皮剝(は)ぎ用の石器であろう。4は土掘り用の撥形石斧(ばちがたせきふ)である。5は磨石で、木の実などをすりつぶすための石器で、石皿とセットとなる。6は石鏃(せきぞく)で、弓の先端部につけて狩猟に用いられた。

図190 下石戸下遺跡位置図

図191 下石戸下遺跡出土遺物実測図及び拓影図

写真100 下石戸下遺跡試掘調査風景

図192 下石戸下遺跡出土遺物拓影図(1)

図193 下石戸下遺跡出土遺物拓影図(2)

図194 下石戸下遺跡出土遺物拓影図(3)

図195 下石戸下遺跡出土遺物拓影図(4)

図196 下石戸下遺跡出土遺物拓影図(5)

図197 下石戸下遺跡出土遺物拓影図(6)

図198 下石戸下遺跡出土遺物実測図

<< 前のページに戻る