北本市史 資料編 古代・中世

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第1章 古代の武蔵と北本周辺

承平年間(九三一~七)
源順が『倭名類聚抄』を編纂する。この国郡部に足立郡七郷の郷名が見える。

34 倭名類聚抄 〔日本古典全集〕

    国府在多磨郡行程上
武蔵国
    二十九日下十五日

    田三万五千五百七十四町七段九十六歩
管二十一
    正公各四十万束本稲百一万三千七百五十束

五把雑稲三十一万
三千七百五十束五把

 久良 久良岐都筑 豆々岐多磨 太婆国府橘樹 太知波奈
 荏原 江波良豊島 止志末足立 阿太知新座 爾比久良
 入間 伊留末高麗 古末比企 比義横見 与古美今称吉見
 埼玉 佐伊太末大里 於保在止男衾 乎夫須末幡羅 原 
 榛沢 波牟佐波那珂児玉 古太万賀美 上 秩父 知々夫
武蔵国第八十三
 (中略)
 足立郡
 堀津殖田 宇恵太稲直 伊奈保郡家 大里
 余戸発度
 新座郡
 志木余戸
 入間郡
 麻羽 安佐波大家 於保也介郡家高階 太加之奈安刀
 山田 也万多広瀬 比呂世余戸
 高麗郡
 高麗 古万上総 布無豆布佐
 比企郡
 郡家渭後 沼乃之利都家 都介醎瀬 加良世
 横見郡
 高生 多介布御坂 美佐加余戸
 埼玉郡
 大田 於保多笠原 加佐波良草原 加也波良埼玉 佐以多万 余戸

 久良 久良岐都筑 豆々岐
 多磨 太婆国府橘樹 太知波奈
 荏原 江波良豊島 止志末
 足立 阿太知新座 爾比久良
 入間 伊留末高麗 古末
 比企 比義横見 与古美今称吉見
 埼玉 佐伊太末大里 於保在止
 男衾 乎夫須末幡羅 原 
 榛沢 波牟佐波那珂児玉 古太万
 賀美 上 秩父 知々夫
武蔵国第八十三
 (中略)
 足立郡
 堀津殖田 宇恵太
 稲直 伊奈保郡家 大里
 余戸発度
 新座郡
 志木余戸
 入間郡
 麻羽 安佐波大家 於保也介
 郡家高階 太加之奈安刀
 山田 也万多広瀬 比呂世
 余戸
 高麗郡
 高麗 古万上総 布無豆布佐
 比企郡
 郡家渭後 沼乃之利都家 都介
 醎瀬 加良世
 横見郡
 高生 多介布御坂 美佐加
 余戸
 埼玉郡
 大田 於保多笠原 加佐波良
 草原 加也波良埼玉 佐以多万
 余戸
 (後路)
〔読み下し〕
34 略
〔解 説〕
『倭名類聚抄』は、承平年間(九三一~七)に成立した我が国最古の百科辞書で、古代史研究の基本史料の一とされる。編者は源順(みなもとのしたごう)。本書の国郡部に八~九世紀頃の国郡郷に関する記載があり、律令支配の状況を知る貴重な史料となっている。本史料では足立郡とその周辺の郡の記述を掲げた。
国郡部に見られる武蔵国の郡設置の状況を見ると、武蔵国全体で二十一郡、県域では十五郡と前掲の「延喜式」所載の史料と対応する。その分布を見ると県北に密であって、当時は県北地域が県南地域に比べて開発が容易であったために、多数の郡が設置されたものと思われる。
また郷の数は武蔵国全体で一二一、県域では七五、足立郡では七郷とされている。この郷数によって足立郡は下郡とされた。郷は令制では郡の下部機構で五〇戸で編成されており、一戸の戸口はおよそ一五〜二〇人と推測されている。但し五〇戸に満たぬ郷は余戸郷とされた。

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