北本市史 資料編 古代・中世

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第1章 古代の武蔵と北本周辺

舒明五年(六三三)
舎人物部連兄麻呂が、武蔵国造となる。

4 聖徳太子伝曆(1) 〔「続群書類従(2)」所収〕
舎人(3)物部連兄麻呂性有道心、常以斎食、後為優婆塞(4)、常侍左右、癸巳(5)年賜武蔵国造
〔読み下し〕
4 舎人(とねり)物部(もののべ)連兄(むらじ)麻呂(えまろ)、性(ひととな)り道心ありて常に斎食す、後に、優婆塞となり、常に左右に侍す、癸巳の年に武蔵国造を賜る
〔注〕
(1)聖徳太子の伝記、二巻、略して『伝暦』ともいう。藤原兼輔(八八七~九三三)の作、成立年代不詳。欽明天皇三十一年(五七〇)から大化元年(六四五)までの編年体で、内容は詳しく後世の聖徳太子伝の多くは本書に拠っている。しかし、記事の信憑性については問題があり、取扱いは慎重を要する。
(2)塙保己一の編集になる江戸後期の叢書。群書類従の続編として古典籍二一二ハ種を集成し、二五部門に分類してある。
(3)天皇・皇族に近侍し、護衛を任務とした下級官人
(4)うばそく 世俗の生活をしつつ、仏道に帰依する男子、女子は優婆夷
(5)みずのとみ 六三三年にあたる。
〔解 説〕
聖徳太子の舎人の物部連兄麻呂は、崇仏の心が篤く優婆塞となって太子に近侍したため、六三三年に武蔵国造になったという。物部氏は武蔵国と関係が深く、各地に部民物部が置かれていた。国造との関連では、八世紀に入って入間郡の人物部直広成が恵美押勝の叛乱(七六四年)に従事して軍功を挙げ、後に由緒ある入間宿禰の姓を賜っている。広成は直姓であるが、兄麻呂は連姓(中央豪族の姓)となっており、「連」は「直」の誤記ではないかという説もある。

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