北本市史 資料編 古代・中世

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第1章 古代の武蔵と北本周辺

霊亀二年(七一六)五月十六日
武蔵国に高麗郡が設置される。

7 続日本紀 〔新訂増補国史大系〕
五月辛卯、以駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野七国高麗人千七百九十九人、遷于武蔵国、始置高麗郡焉
〔読み下し〕
7 五月辛卯に、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野七国の髙麗人千七百九十九人を以って武蔵国、に遷し始めて高麗郡を置く
〔解 説〕
六六八年に唐・新羅の連合軍に高句麗が滅ぼされたのと前後して、我が国に亡命してきた人々を全国各地に居住させたが、そのうち駿河以下七国の一七九九人を武蔵国に移し変え、高麗郡を設置した。高麗郡は現在の日高町を中心に飯能市を含む一帯の地域で、日高町の高麗神社は郡領となった高麗王若光を祭っているという。若光は天智五年(六六六)十月、高句麗の進調副使として来朝したが、母国滅亡のため我が国に留まり、 大宝三年(七〇三)「王(こきし)」の姓を賜った。はじめ相模国大磯に移住していたが、高麗郡設置に際し武蔵国へ移って来たという。神奈川県の大磯には高句麗ゆかりの高来神社がある。

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