北本市史 資料編 古代・中世
第2章 中世の北本地域
第3節 後北条氏の支配と北本周辺
永禄六年(一五六三)六月十八日太田資正は、小室の赤井坊に、沼の埋め出しの禁制を出す。
189 太田資正制札写 〔『小室村誌』所収〕
制札
小室之赤井坊、沼埋出す(ママ)もの有之者、可処罪科者也
永禄六年(癸亥)
六月十八日 資正(太田)書判
赤井坊
〔読み下し〕
189 制札
小室の赤井坊、沼埋め出すものこれあらば、罪科に処すべきものなり
〔解 説〕
本史料は、太田資正が足立郡小室郷の赤井坊に出した制札で、その内容は、沼の埋め出しを禁じたものである。同坊のある小室郷付近は東を綾瀬川に囲まれた沖積地である。沼の埋立は新田の開発に関係するが、他面で水利・漁業関係に影響する。おそらく、同坊がこれに関与しており、その権益の保護を図ることで、修験道場として在地に影響力を有していた同坊を資正の支配下に繫ぎ止めようとしたものといえよう。