北本市史 資料編 古代・中世
第2章 中世の北本地域
第3節 後北条氏の支配と北本周辺
永禄九年(一五六六)十一月十八日太田氏資は、足立郡小室の閼伽井坊に、寺内・門前の不入を安堵し、同日、寺領も安堵する。
198 太田氏資判物(折紙) 〔明星院文書(1)〕
小室閼伽井坊、寺内門前共ニ、如前々可為不入者也、仍如件
永禄九年(丙寅) 源五郎
十一月十八日 氏資(花押)
閼伽井坊
199 太田氏資判物(切紙) 〔明星院文書〕
小室之閼伽井坊寺領之儀、如前々之、論田(2)共、相違有間敷者也、仍而如件
永禄九年(丙寅) 源五郎
拾壱月廿八日 氏資(花押)
閼伽井坊
〔読み下し〕
198 小室閼伽井坊、寺内門前共に、前々の如く不入たるべきものなり、よって件の如し
199 小室の閼伽井坊寺領の儀、前々の如く、論田とも、相達あるまじきものなり、よって件の如し
〔注〕
(1) | 桶川市倉田 明星院所蔵で、同寺に伝来された古文書 |
(2) | 争論の対象となっている田 |
所載の二点の史料は、いずれも太田氏資が足立郡小室郷の閼伽井坊(赤井坊)に寺内・門前の不入と寺領の安堵をしたものである。同坊に関しては、すでに資正の代に寺領安堵等をしており(史料180)、岩付太田氏の保護が厚かった。家臣への所領安堵・給付とともに寺社の保護は、領主の基本的支配権行使であり、ここにも氏資の岩付領々主としての着実な活動を見ることができる。