北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第3節 後北条氏の支配と北本周辺

元亀三年(一五七二)閏正月五日
北条家は、小室闘伽井坊の寺内棟別銭を免除する。

207 北条家印判状(折紙) 〔明星院文書〕
江戸御娘人(1)祈念之由候間、寺内棟別(2)之事、令赦免候、惣而横合非分之儀有之者、小田原へ令参府、可捧目安(3)者也、仍状如件
        (禄寿応穏)
  元亀三年 壬申        奉之
    閏正月五日   笠原藤左衛門尉(4)
      閼伽井坊
〔読み下し〕
207 江戸御娘人(ごろうにん)の祈念の由に候間、寺内の棟別の事、赦免(しゃめん)せしめ候、惣じて横合より非分の儀これ有らば、小田原へ参府せしめ、目安を捧ぐべきものなり、仍って状件の如し
〔注〕
(1)江戸城城代遠山氏の娘
(2)鎌倉~戦国期にかけて、家屋の棟数別に賦課した公事、はじめ臨時役であったが、後に定期的課役となり、領主の有力財源となった。
(3)箇条書きにした訴状・陳状
(4)笠原康明 後北条氏配下伊豆衆二一人衆の一人で、氏政の奉行人を勤める。
〔解 説〕
元亀二年十月、父氏康の死によって家督を継いだ氏政は、この年正月に岩付衆等の着到を改定し(史料205・206)領内の所領安堵を行うなど、代替わりによる軍事再編成と民生安定に努めていた。
本資料は、こうした背景のもと、江戸城代遠山氏の娘が祈願する小室閼伽井坊(無量坊)に対し寺内百姓の棟別銭免除と他よりの干渉禁止を保証した虎印判状である。当時、岩付城主は北条氏繁であったが、城代の地位に止まり、領内支配の重要事項は、北条宗家が虎印判状をもって直接当っていたのである。

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