北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第3節 後北条氏の支配と北本周辺

天正二年(一五七四)七月十五日
氏好は、内田孫四郎に、すな原の地を安堵する。

211 氏好書状 〔屋代典憲家文書〕
すな原(1)之打明、其方へ被出置候、太田美濃守(2)方判形明白ニ披見然者模(横)合有之付而者、上意へ其段披露可申候、為其証文如件
 天正二(甲戌)
  七月十五日    氏好(3)(花押)
   内田孫四郎(4)殿
〔読み下し〕
211 すな原の打明かし、そなたへ出し置かれ候、太田美濃守方の判形明白に披見す、しからば模(横)合これあるについては、上意へその段披露申すべく候、そのため証文件の如し
〔注〕
(1)不詳 現在の鴻巣市内にあった地名か
(2)太田資正
(3)姓は不詳、後北条氏の家臣と思われる
(4)太田氏の旧臣で、後北条氏の家臣
 ※本文書は検討を要する
〔解 説〕
後北条氏の家臣氏好なる者が、内田孫四郎に対し太田美濃守資正の判物に従い、新開の砂原の地を安堵したものである。差出人の氏好については傍証がなく不明であるが、氏の字を名としていることから北条氏の一族とも推測される。文書の内容から見ても不自然な所があり、検討を要するが、「すな原」の地名があるので参考までに掲げた。「すな原」については、資料209参照。

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