北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第3節 後北条氏の支配と北本周辺

天正五年(一五七七)三月十一日
助次郎ほ、鴻巣郷内の宮内村・別所村の百姓中に、不作の荒野の開発を命ずる。

213 助次郎書状写  〔武州文書〕
「追而書なし」
不作(1)之所、従当年五年、荒野(2)ニ相定之間、何も精を入、開発可有候、無申迄候得共、近年之開ニ不待合様ニ、被致之儀、肝要ニ候、仍状如件
  天正五年(丁丑)
     三月十一日  助次郎(花押)
        鴻巣宮内(3)百姓中
〇鴻巣別所村百姓中宛文書は、宛名に「村」があるだけの違いであるから略す。
〔読み下し〕
213 不作の所、当年より五年、荒野に相定むるの間、何(いず)れも精を入れ、開発有るべく候、申すまでもなく候えども、近年の開きに待ち合わざる様に、致さるの儀、肝要に候、仍って状件の如し
〔注〕
(1)不耕作の意
(2)荒野を開発した場合は一定年数年貢免除となった。不耕作の地は五年
(3)北本市宮内か、別所村も北本市域
〔解 説〕
本史料は、鴻巣郷の領主助次郎が郷内の宮内村・別所村の百姓等に、五年の期限を切って不耕作の荒野の開発を命じたものである。特に「近年之開ニ不待合様ニ」と今回の不耕作地の開発と、近年の荒野開発とを混同しないように、注意を喚起しているのが注目される。荒野の開発は今までは十年間であった。なお、鴻巣宮内・鴻巣別所村は共に現北本市域で、大字にその村名を残しており、市域の開発関係史料として注目される。

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