北本市史 資料編 古代・中世
第2章 中世の北本地域
第3節 後北条氏の支配と北本周辺
天正八年(一五八〇)三月十五日北条家は、小室郷閼伽井坊に、出井が島荒野の開発を命ずる。
220 北条家印判状 〔明星院文書〕
出井ヶ島荒野之事、辰・巳・午三ケ年ニ定置候、悉可致開発候、此外本年貢をハ、如近年可致沙汰者也、仍如件
(禄寿応穏)
庚辰 奉之
三月十五日 垪和伯耆守
閼伽井坊
220 出井が島荒野の事、辰・巳・午の三か年に定め置き候、悉(ことごと)く開発致すべく候、此(こ)の外本年貢(ねんぐ)をば、近年の如く沙汰致すべきものなり、仍って件の如し
〔解 説〕
閼伽井坊の寺領である出井ヶ島の荒地を、向う三か年間年貢免除とするので、ことごとく開発することを命じたものである。但し、この外の本年貢については近年の例に従って処理することとしている。後北条氏が年貢増徴策の一環として開発を奨励したものである。