北本市史 資料編 古代・中世
第2章 中世の北本地域
第3節 後北条氏の支配と北本周辺
天正九年(一五ハー)七月八日北条氏政は、岩付衆道祖土図書助らの着到を改定する。次いで七月十日、 図書助の着到を追補する。
222 北条氏政印判状 〔道祖土文書〕
改定着到(1)事
一本 | 指物(2)、四方竪六尺・横四尺、持手具足(3)・皮笠、金銀之間紋可出、皮笠(4)何も同前 |
一本 | 鑓、二間々中柄(5)、金銀之間相当ニ可推、持手具足・皮笠 |
一騎 | 馬上、具足・甲大立物(6)、金銀何ニ而も可推、手蓋(7) |
右、前々之着到之内、少々相改定置者也、一々致披見毛頭無相違可致之候、大途堅被仰付間(候脱カ)、猶以不可致相違候、火急ニ用意、来廿日を切而出来、専一候、仍如件
(印文未詳)
辛巳
七月八日
道祖土図書助殿
223 北条氏政印判状写 〔内山文書〕
改定着到之事
(皮カ)
一本 | 大小旗持、具足・陣(皮カ)笠、金銀之間ニ而紋可出、皮笠何も同前 |
一本 | 指物、四方竪六尺・横四尺、持手、具足・皮笠 |
一本 | 鑓、二間之(々)中柄、具足・皮笠、金銀之間相当ニ可推、但、鑓之事也 |
一騎 | 馬上、具足・甲・手蓋・面肪(8)・大立物、金銀何間も可推、馬鎧金(9) |
右、前々之着到之内、少々相改定置者也、一々致披見毛頭無相違可致之、大途堅被仰付候間、猶以不可致相違候、火急二用意、来廿(日脱カ)を切而出来、専一ニ候、仍如件
辛巳 (印文未詳)
七月八日
内山弥右衛門尉殿
七月八日
内山弥右衛門尉殿
224北条氏政印判状(小切紙) 〔道祖土文書〕
以前之書出ニ馬鎧落候、為其、重而遣之候、馬鎧金紋をハ、如何様ニ可出も随意二候、
已上
辛巳 (印文未詳)
七月十七日
道祖土図書助殿
〔読み下し〕
七月十七日
道祖土図書助殿
222 改定着到の事
一本 | 指物(さしもの)、四方は竪(たて)六尺、横四尺、持手は具足・皮笠、金銀の間に紋を出すべし、皮笠何(いず)れも同前 |
一本 | 鑓(やり)、二間間(けんま)中柄(なかえ)、金銀の間は相当に推すべし、持手は具足、皮笠 |
一騎 | 馬上、具足・甲(かぶと)は大立物(おおだてもの)、金銀何れにても推すべし、手蓋 |
右、前々の着到の内、少々相改め定め置くものなり、一々披見(ひけん)致し、毛頭相違なく致すべく候、大途堅く仰せ付けられ(候)間、猶(なお)以って相違致すべからず候、火急に用意し、来たる二十日を切って出来(しゅったい)、専一に候、仍って件の如し
223 略
224 以前の書出しに馬鎧(よろい)を落し候、其のため、重ねてこれを遣わし候
馬鎧(よろい)は金紋をば、如何様(いかよう)に出すべきも随意に候
〔注〕
(1) | 軍役人数と装備の規定文書 |
(4) | 牛皮製の笠で表面に漆を塗ったもの |
(5) | 全長二間半の槍のこと |
(7) | 籠手のこと |
(2)(3)(6)(8)(9)は史料205の注参照 |
この史料は、北条氏政が道祖土図書助ら、岩付衆の着到(所領の役高に応じて負担が定められている軍役)を改定したものである。各人の負担すべき人数と軍装が詳細に規定されている。図書助は二五貫を知行し自身馬上で、供として槍一人、指物一人の計三人の軍役を負っていた。干支の辛巳は天正九年であり、これより先に岩付領内での陣夫一斉調査実施直後のことで、「郷中の人員に従って新たな陣夫を定める」ことと、着到の改定とは、いずれも氏政印判状によって実施されていた。従ってこれは単なる代替りによる改定ではなく、氏政の独自な岩付領支配策が展開しつつあることを窺わせる。それは、幼少であった岩付城主(氏政二男源五郎)の後見人として、もとは敵地ともいうべき岩付領と岩付衆に対して、前小田原本城主の氏政自身が強力なてこ入れをすることによって、同領を安定した後北条氏領国の一部とすることが目的であったと推測される。
史料221は、七月八日付の達で、記載洩れした事項を通知したものである。