北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第3節 後北条氏の支配と北本周辺

天正十三年(一五八五)四月
北条氏政は、来るべき調儀に備え、道祖土満兼らに軍装整備を命ずる。

231 北条氏政印判状 〔道祖土文書〕
来調儀(1)、別而諸軍之支度下知之間、前々着到之辻(2)、弥可致覚悟条々
指物、四方
鑓、金銀何を成共、箔可推直事
一騎、自身之仕立、馬鎧等迄、綺羅美耀ニ可致之、諸武具、委細先着到ニ載之事
右、先帳ニ一々雖有之、猶改而申出候、皮笠・立物・具足類之物をハ、悉修覆棄(綺)麗ニ致立、小旗類見苦敷をハ、何をも新可仕立、出来之日限、五月五日を可限者也、仍如件
          (有効)(3)
    四月五日

       道祖土図書満兼助殿
〔読み下し〕
231 来たる調儀、別して諸軍の支度(したく)を下知するの間、前々着到の辻、弥(いよいよ)覚悟致すべき条々
指し物、四方
鑓(やり)、金銀何(いず)れをなりとも、箔(はく)を推し直すべきこと
一騎、自身の仕立て、馬鎧(よろい)等まで、これを綺羅美耀に致すべし、諸武具は、委細を先の着到にこれを載する事
右、先帳に一々これ有るといえども、なお、改めて申出し候、皮笠・立て物・具足類の物をば、悉(ことごと)く修覆綺麗(きれい)に致し立て、小旗類の見苦しきをば、何れをも新たに仕立てるべし、出来の日限は、五月五日を限るべきものなり、仍って件の如し
〔注〕
(1)整え準備すること 来るべき出陣・作戦に備えての意
(2)天正九年七月八日の改定着到に示されたこと(史料222参照)
(3)「有効」朱印は、御隠居御封判と称され、氏政の印章である。
〔解 説〕
来るべき調儀に備えて、天正九年七月に改定した各家臣の軍装の整備修補を命じた氏政の印判状である。その内容は武器・馬具等は金銀の箔を押し直し、皮笠・立物・具足類は修復し、小旗類は新調するなど、ことごとくきらびやかにせよとしている。来るべき調儀とは、後北条氏はこの年四月から下野佐野に進攻中であったので、それに関連するものと思われる。
なお、この軍備改装令は岩付領に広く出されたらしく、足立郡の藤波与五右衛門・金子中務丞、埼玉郡の鈴木雅楽助らにも同文の令書が出されている。

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