北本市史 資料編 古代・中世
第2章 中世の北本地域
第3節 後北条氏の支配と北本周辺
天正十六年(一五八八)七月三日太田氏房は、井草宿百姓に当年分の公役銭上納を命ずる。次いで翌年七月二十日、井草伊達分百姓に棟別銭上納を命ずる。
245 太田氏房印判状 〔武州文書〕
戊子歳□□□公役銭(1)三百□ 如口年九月十五日を切而立川(2)・深井(3)ニ可相渡、日限相違ニ付而ハ、如御法可被懸過失者也、仍如件
戊子
七月三日 奉之
法淳(4)
井草宿
百性中
246 当棟別銭弐貫丗七文 如毎年之九月晦日を切而悉可致蔵納、日限至可踏越之者 如御法過銭可被仰付者也、仍如件
(天平十七年)
己丑
七月廿日
井草伊達(5)分
百性中
〔読み下し〕
245 戊子歳[ ]公役銭三百□(文)□(毎)年の如く九月十五日を切りて、立川・深井に相渡すべし、日限相違に付いては、御法の如く過失を懸けらるべきものなり、仍って件の如し
246 略
〔注〕
(1) | 井草宿に課せられた役銭か | |
(2) | 岩付衆の立川山城守か | |
(3) | 岩付衆で上州長尾氏の流れを汲み足立郡深井村(北本市)に住む。深井対馬守か、その子の籐右衛門尉 | |
(4) | 岩付の奉行人 | |
(5) | 岩付重臣の伊逹与兵衛房実 |
太田氏房が井草宿百姓及び井草伊逹分百姓らに対し、当年分の公役銭や棟別銭の類を明示し、かつ納期を指示したものである。何れも遅納については国法により過銭を課すとしている。