北本市史 資料編 古代・中世
第2章 中世の北本地域
第3節 後北条氏の支配と北本周辺
天正十六年(一五八八)八月十四日太田氏房は、深井対馬守と同藤右衛門に、自分の使用分以外の竹木伐採を禁止する。次いで翌年八月十六日、両名に山林の管理を委ねる。
247 太田氏房印判状写 〔武州文書〕
深井自分はやし候竹木之事、御隠居(1)様如御証文、一切不可伐、但、自分之林候間、自然自分之用所可伐事者、無相違候、他人ニ一本成共遣候者、可為重科候、仍如件
(心簡要)
奉之
戊子 藤左衛門尉(2)
八月十四日
深井対馬(3)殿
同藤右衛門(4)殿
248 太田氏房印判状写(折紙) 〔武州文書〕
深井植立候山共之儀、預置候、殊数通之証文与云、毎年栗之実を取、苗木殖立、御用立之候間、父子之者、山ニ少も横合有間敷候、誰成共、枝を一本至于折取、相搦、急度可申上者也、仍如件
(心簡要)
己丑
八月十六日
深井対馬守殿
同藤右衛門尉殿
〔読み下し〕
247 深井自分はやし候竹木の事、御隠居様御証文の如く、一切伐るべからず、但し自分の林に候間 自然自分の用所に伐るべき事は相違無く候、他人に一本なりとも遣わし候は重科たるべく候、仍って件の如し
248 深井植え立て候山共の儀、預け置き候、殊に数通の証文と云い、毎年栗の実を取り苗木殖え立て、これを御用立て候間、父子の者山に少しも横合あるまじく候、誰成り共、枝を一本折り取るに至らば相搦め、急度申し上ぐべきものなり、仍って件の如し
〔注〕
(1) | 隠居北条氏政 |
(2) | 岩付奉行人の笠原藤左衛門か |
(3) | 深井対馬守景吉 入道道意 景孝の嫡子 |
(4) | 景吉の嫡子深井好秀 |
史料247は深井父子には自分逹が植えたてた山林があったが、これが立林となり北条家の保護下にあった。従って竹木の伐採は北条家の命によるもの以外は不可であったが、自分の林であったので深井の必要分については伐採は許されたが、他用による伐採は厳禁されていた。後北条氏は城郭修築資材として平常より竹木保護に努めていたのである。
史料248は、この山林の管理を深井父子に委ねたが、この山林については数通の証文を発しており、毎年栗の実を採り、苗木を植立て御用に備えてきた。例え父子であっても非法を行ってはならない。その他の者については枝一本折取っても搦め取るとしている。市域近辺の山林管理の様子を伝える興味ある史料である。