北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第1節 鎌倉期の北本

嘉禎二年(一二三六)七月二十五日
幕府は足立遠親の讃岐国本山荘地頭職を止め、一円を石清水八幡宮領とする。

97 吾妻鏡 嘉禎二年七月二十五日条
廿五日庚辰、石清水領讃岐国本山庄被止足立木工助遠親知行地頭職、一円被付宮寺云々
〔読み下し〕
97 廿五日庚辰、石清水領讃岐国本山庄足立木工助(もくのすけ)遠親が知行の地頭職を止められ、一円に宮寺に付せらると云々
〔解 説〕
本史料は、足立遠親の石清水八幡宮領讃岐国本山荘(香川県豊中町本山)地頭職を幕府が停止し、一円を石清水八幡宮領としたものである。この地頭職停止の経緯は記していないが、前年三月に発生した石淸水八幡宮と奈良の興福寺との抗争に関係し、源氏の氏神たる本所石淸水八幡宮の要求に従ったものといえよう。かくすれば、当然ながら遠親は代替の地頭職を得るはずだが、その史料は残されていない。なお、本史料は、遠親の初見であり、『足立系図』では彼を元春の子とし嫡系としている。従って幕府草創以来の功績で、足立氏嫡宗は西国に新恩地を得ていたことになる。

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