北本市史 資料編 古代・中世

全般 >> 北本市史 >> 資料編 >> 古代・中世

第2章 中世の北本地域

第1節 鎌倉期の北本

宝治二年(一二四八)閏十二月十日
足立元氏は、藤原頼嗣の方違に、供奉する。

105 吾妻鏡 宝治二年閏十二月十日条 
十日癸丑、天晴、将軍家為御方違、入御于足利左馬入道正義大倉亭
供奉人
騎馬
 (中略)
 摂津左衛門尉    足立三郎左衛門(元氏)尉   
〔読み下し〕
105 十日癸丑、天晴る、将軍家(藤原頼嗣)、御方違として足利左馬入道正義(義氏)が大倉亭に入り御う
供奉人
 (後略)
〔解 説〕
本史料は、将軍藤原頼嗣が方違として足利義氏の大倉亭(神奈川県鎌倉市)に渡ったものである。この供奉人に足立元氏がいる。彼の史料初見である。『足立系図』に、元氏(基氏)は遠親の子として直元の上に記されているが、三郞左衛門尉ゆえに、太郎左衛門尉直元の弟と推定される。この後、直元・元氏兄弟は、『吾妻鏡』建長四年(一二五二)四月十四日条に見られるように、幕府の公式行事に揃って登場する。独立した御家人として処遇されていて、両社の序列はほぼ同等である。このことは、前項で述べたことを考えると、足立氏本領(足立郡)が両人に分割されたことの反映といえよう。ともあれ、足立氏は直元・元氏兄弟が中堅御家人として幕府行事に姿を見せるのである。

<< 前のページに戻る