北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第1節 鎌倉期の北本

治承四年(一一八〇)十月五日
源頼朝は、武蔵国諸雑事の沙汰を、江戸重長に命ずる。

52 吾妻鏡 治承四年十月五日条
五日甲申、武蔵国諸雑事等、仰在庁官人(1)并諸郡司等、可令致沙汰之旨、所被仰付江戸太郎重長也
〔読み下し〕
52 五日甲申、武蔵国の諸雜事等、在庁官人ならびに諸郡司等に仰せて、沙汰致さしむべきの旨、江戸太郎重長に仰せ付けらるるところなり
〔注〕
(1)国府の政庁(国衙)である国庁(留守所)で実務を処理した役人で、多くは在地豪族が任用され世襲化した。
〔解 説〕
本史料は、頼朝が武蔵国の国衙支配権を掌握したことを示すものである。永暦元年(一一六〇)以来、平氏知行国であった武蔵国府(東京都府中市)に、この日、頼朝は入部した。平氏方の目代を追放し実権を掌握した頼朝は、改めて在庁官人とその隸下の郡司を指揮して同国の庶務を処理するよう、江戸重長に命じたのである。この重長の権能は、在庁官人の最右翼たる留守所惣検校職(従前は河越重頼)と目代の権能とを兼ねたものといえる。ここに頼朝の武蔵国制覇がなったのである。

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