北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第1節 鎌倉期の北本

弘安五年(一二八二)二月二十一日
幕府は、評定によって足立郡を公領と裁定する。

106 新編追加(1) 雑務篇・本新地頭条六 〔中世法制史料集〕
一 武蔵国足立郡地頭職事 弘安五二廿一
評定(2)云、当郡為公領歟、将又為私領否、不審之間、披見平家跡没収御領注文(3)之処、当郡事、載彼注文畢、為公領之条分明也、不及子細、然則守此旨可有沙汰
〔読み下し〕
106 武蔵国足立郡地頭職の事
評定に云わく、当郡公領たるか、はたまた私領たるや否や、不審の間、平家跡没収の御領注文を披見の処、当郡の事、かの注文に載せおわんぬ、公領たるの条分明なり、子細に及ばず、しからばすなわちこの旨を守り沙汰あるべし
〔注〕
(1)貞永元年(一二三二)制定の幕府基本法の御成敗式目以降、幕府の発布した法令(式目追加という)を集録・分類・編纂したもので、成立時期・著者とも不詳
(2)幕府最高の政務機関である評定衆会議のこと
(3)元暦元年(一一八四)、一の谷合戦後に源頼朝に与えられた平家没官領(平氏所領として朝廷が没収した地)の目録のことで、数百か所に及ぶという。
〔解 説〕
本史料は、幕府評定において、足立郡が公領(国衙領)か私領(荘園)かが問題になった時、平家没官領注文を根拠に、公領と裁定されたものである。当郡は足立氏の本貫であるが、平家没官領に所載されていたことは、当郡が平氏所領であったことを示す。これは、遠元が平治の乱で源義朝に与したため、当郡を没収されたことを示す。平氏の当郡に対する権限が何であったかは不確かであるが、それが平氏没官領として源頼朝の所領、すなわち関東御領となったことを意味する。すなわち、鎌倉幕府で、当郡は足立氏を郡地頭職とし将軍家直轄地(私領)とするのが実態であった。したがって、関東御領として国衙、すなわち国守の支配外にあったとすべきである。そこで、当郡が公領であることを改めて確認することで、国務(北条氏)の支配が及ぶことを明確にしたといえよう。なお、この時の得宗は執権時宗、国守は時村(泰時弟の政村嫡子)であった。

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