北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第1節 鎌倉期の北本

正応三年(一二九〇)十月四日
足立遠氏の豊前国佐田荘地頭職が、同国安雲村の替えとして、宇都宮通房に与えられる。

109 関東下知状 (1) 〔豊前佐田文書〕
可令早前薩摩守 法師(法名尊覚)領知 
 豊前国佐田庄(宇佐郡)地頭職(足立五郎左衛門尉事遠氏知行分)
右、為同国安雲村(上毛郡)替、所被充行也者、早守先例、可令領掌之状、依仰下知如件
  正応三年十月四日
    陸奥守平朝臣(宣時)(花押)
    相模守平朝臣(貞時)(花押)
〔読み下し〕
109 早く前薩摩守(宇都宮通房)、 法師(法名尊覚)に豊前国佐田庄地頭職(足立五郎左衛門尉知行分) 遠氏を領知せしむべき事
右、同国安雲村の替えとして、充行わるる所なりてえれば、早く先例を守り、領掌せしむべきの状、仰せにより下知件の如し
〔注〕
(1)幕府(将軍)の下達文書で、将軍の命を奉じて奉行人が伝達する。文末に「下知如件」とあるのが特徴で、執権・連署が奉行人として署判し、多くの訴訟裁許に用いられる。
〔解 説〕
本史料は、豊前国安雲村(福岡県吉富町)の替えとして、同国佐田荘(大分県安心院町佐田)地頭職を宇都宮通房に幕府が与えたものである。この地頭職は足立遠氏の「知行分」、すなわち彼の所領であった。しかも、「跡」と記されていないことで現有所領(当知行)といえる故、これが通房に給与されたことは、その時点で佐田荘地頭職を足立氏が失ったことになる。『足立系図』で遠氏は元氏の子とされている。五年前の霜月騒動で足立氏嫡系(直元)が滅亡しているので、ここに元氏系が生き残っていたことになる。元氏の名は自害者歴名(史料107)に所載されていないので、彼の系統は安逹泰盛に与同しなかったともいえよう。しかし、この時点で遠氏の西国所領が他人に与えられたのは、やはり騒動の余波といえよう。この替地が給与されたか否かは史料がなく不明である。ともあれ、足立氏は霜月騒動で嫡流(太郎直元系)が滅んだが、庶流(三郎元氏系)が残ったことになる。

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