北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第2節 南北朝・室町期の展開

応永六年(一三九九)三月十日
勝覚院幸湛は、武州上足立一円などの那智山旦那職を廊之坊に売り渡す。

146 旦那売券 〔潮崎稜威主文書〕
永代売渡申旦那之事
  合而廿貫文
右、件旦那者、依有用要、永渡申処実也、武州上足立(1)一円、同金亀山一円、奇西(2)・比幾(3)之郡引候共、大円坊幷門弟引旦那一円ニ、永代売渡申候、幷ミた(4)の連源坊引弥田一円、是者前本銭返(5)ニ売申候へ共、只今永代ニ皆々渡申候、足立名字をも何国より参候共、可有御知行候、若又、此旦那ニ違乱煩申方候者、本主道遣可申候、仍如件
           勝覚院
  応永六年三月十日   幸湛(花押)
  廊之坊へ売申候
〔読み下し〕
146 永代売り渡し申す旦那の事
     合せて廿貫文
右、件(くだん)の旦那は、用要あるに依って、永く渡し申す処実なり、武州上足立一円、同じく金亀山一円、奇(埼)西・比幾(企)の郡引き候とも、大円坊ならびに門弟引き旦那一円に永代売り渡し申し候、ならびにミたの連源坊引きの弥田一円、是れは前(さき)に本銭返しに売り申し候えども只今永代に皆々渡し申し候、足立名字をも何国より参り候とも、御知行あるべく候、もしまた、此の旦那に違乱煩(わずら)い申す方候わば、本主道遣(みちやり)申すべく候、よってくだんの如し
〔注〕
(1)上足立とは大宮市以北の足立郡をさす。
(2)埼西(きさい)と書き、埼玉郡を東西にわけた場合の西の部分のこと。但し埼東(きとう)と書かれたものは一例しかない。
(3)比企郡のこと
(4)鴻巣市箕田のあたり
(5)ほんせんがえし 売買したときの値段を買主に支払えば買い戻すことができるという特約つきの売買のこと
〔解 説〕
この史料は、勝覚院幸湛が廊之坊へ、武州上足立、同金亀山、奇西(埼西)、比幾(企)郡などの大円坊ならびに門弟引の旦那職、ついでミたの連源坊引の旦那職などを代銭二十貫文で売り渡し、さらには足立という姓をもつ参詣者についても廊之坊の知行を認めるというものである。
この史料は、史料127・161・165と同様に、「旦那売券」と呼ばれるものである。売券には契約の内容からみると、大きくわけて「永代売買(えいだいばいばい)」と「年紀売(ねんきうり)」と「本銭返(ほんせんがえし)」などがある。「永代売買」とは、通常行われている売買のことで、売券にもわざわざ「永代売渡申」とか「永沽却」などと書いている場合が多い。「年紀売」とは、有期限の売貿のことであり、ある一定期間だけ売却し、その期間が経過すれば自動的に売主の手に戻る売買のことである。「本銭返」とは、ある一定期間を経過したのちに、買主に売却時点の代価を支払えば買い戻すことができるという売買のことで、代価が銭貨の場合を「本銭返」、米穀のときは「本物返(ほんものがえし)」といった。
この史料に関していえば、大円坊ならびに門弟引の武州上足立、同金亀山、奇西、比幾などの且那職については、「永代売買」であり、ミたの連源坊引の旦那職については、始めは「本銭返」であったのが「永代売買」に変ったことが指摘される。

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