北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第2節 南北朝・室町期の展開

応永二十二年(1415)七月二十日
市場の祭文が書写され、これに遊馬郷指扇村市、片柳市・かうのすの市・伊草市などがみえる。

151 市場之祭文写 〔武州文書(1)〕
  市場之祭文
謹請散供再拝々々、敬白
夫市とい(言)つは、私のはかり事にあらす、伊勢天照太(大)神・住吉大明神の御はかり事なり、衆生のたからに何事かあるへき、市にましたる宝ハあらし、天竺にハ門前の市・しゅんの市・たからの市、唐土にハ津問の市・西南の市と名付たり、天竺のもんせんの市を吾朝にうつして、松堂をいはひ守護神をあかめ、十物十、百物百、千物千、種々色々の物を松堂の御まへにそなへたてまつり、境神・当国六所大明神・□の御たけ・安光・高谷・塩舟等七所の権現、殊にハ此所の鎮守、普天率土の有情非情、大小神祇、冥道を驚(敬)而言ク
今南閻浮提日本国王城のひかし(東)、武州庄郡郷村に市をたて、種々の物けうやく(交易)をしめさんとす、市ハこれ万物のあつ(集)まる所、町ハ財宝けうやくの構なり、国土豊饒のはかり事、人民渡世のたから、なに事かこれにしかんや、依之農帝の御代よりはしめて市をたてしよりこのかた、漢土日本諸国諸郡に市をたてぬる、これひとへに国土太平の源なり、然則吾朝に市立はしめし事ハ、昔大和国宇多郡に三輪の市をたて、いちをり長者此市を立はしめ此かた、住よし(吉)の浜に草木の市と名付て、九月十三日に立けり、それより西のはま(浜)のゑひすの三郎殿のはまの市とて立、ひたちの国鹿島大明神も七月七日に市を立はしめ給しより、尾張国あつた(熱田)の大明神も熱田に市を立たまふ、下野国日光権現も中市を立たまふ、出羽国羽黒権現もたうけ(手向)の市を立たまふ、信濃国諏訪大明神も御(み)さ山の市をたてたまふ、武州六所大明神も五月ゑ(会)の市を立たまふ、あたち(足立)の郡冰(氷)河大明神も氷河の市とて立たまひて、人民をまほり国々保々庄薗郷村里々に市をたつる事、神のめくミより出たり、神かならす擁護し給はんにおいてハ、国家おたやかに人民もゆたかなり、故に正直のまつり事、を鷲の世といひ、正直の卒(率)法を鷲の法に名付たり、しかるに身のうへの飾、口の中の食も、ミ(皆)な市をもって躰とし、町をもって本とす、然則当地頭ならひに在地の貴賤上下、一身(味)同心の儀をいたし、はしめて彼所に店屋をこしらへ、あたらしく市をたて、守護神市姫とあかめたてまつる物也、本地を申せは、往古の大日如来法身のみなもとより出たまひ、和光のちり(塵)にましハり、化土(度)利生のためと、すいしやく(垂迹)とあらはれたまふ、或ハ月ともあらわれ、日ともなり給ふ、その光たれ(誰)かいたゝかさらん、或ハ雨となり雲ともなりたまふ、その徳のおそれ誰かかうむらさらん、しかるに飲食衣服金銀珠玉、う(売)る人もか(買)う人も、ことごとく売買の徳利のよろこ(喜)ひをなし、富貴ハ尭舜の御代にことならす、細々の珍事ちうゆふの難な<、ちかきよりとをきにのそミ、いま此市に立人ハ、百廿年の御命をハたもつへし、此市のはんしやうハ、天ちくの門前市のことくならん、天長地久、御願円満、息災延命のため、時にハ七難即滅、七福即生、百姓与楽、常に歓喜、万春栄花、千秋繁盛と敬白
 本書者、延文六年(辛丑)九月九日
 今書、応永廿二年七月廿日
武州足立郡蕨(2)市祭成之
武州足立郡遊馬郷指扇村(3)市祭成之
武州足立郡与野(4)市祭成之
武州足立郡青木(5)市祭成之
武州足立郡鳩谷之里(6)市祭成之
武州河越庄古尾屋(7)市祭成之
武州伊久宇(8)市祭成之
下総州下河辺庄彦名(9)市祭成之
武州崎西郡黒浜(10)市祭成之
武蔵州太田庄南方はさま(11)市祭成之
武州崎西郡灘(12)市祭成之
武州崎西郡末田(13)市祭成之
武蔵州太田庄野田(14)市祭成之
武州足立郡野田(15)市祭成之
武州足立郡片柳(16)市祭成之
武蔵州太田庄久米原(17)市祭成之
下総州春日部郷(18)市祭成之
武蔵州太田庄須賀(19)市祭成之
武蔵州崎西郡行田(20)市祭成之
下総国下河辺庄花和田(21)市祭成之
武州足立郡大門(22)市祭成之
武州入間郡水子郷(23)市立時、羽倉彦次郎(24)市祭成之
「是ヨリ書ヅキノ様見ユル」
武州足立かう之すの(25)市祭成之
武州足立郡いっきほり(26)市祭成之
下総国下河辺吉河(27)市祭成之
武州伊草(28)市祭成之
武州き西こふり八十(29)市祭之
武州き西こふりかゝさねかふ道(30)いちまつり
武州大(太)田庄たかゆわ(31)いちまつり是なす
下総国十もり島の市祭成之
武州崎西郡岩付ふち宿(32)市祭成之
武州崎西郡岩付くほ宿(33)市祭成之
武州崎西郡平野宿(34)市祭成之
  〇本文書、後世ノモノト思ワルルモ、文中ノ年紀二従イ、便宜ココニ収ム
〔読み下し〕
151 略
〔注〕
(1)東京都千代田区北の丸公園三—二 内閣文庫蔵
(2)蕨市
(3)大宮市指扇のあたり
(4)与野市
(5)川口市の西部のあたり
(6)鳩ケ谷市里のあたり
(7)川越市古屋上、古屋本郷のあたり
(8)東京都足立区北部のあたり
(9)三郷市彦成のあたり
(10)蓮田市黒浜
(11)北埼玉郡騎西町か
(12)南埼玉郡菖蒲町か
(13)岩槻市末田のあたり
(14)南埼玉郡白岡町野田
(15)浦和市大門のあたり
(16)大宮市片柳のあたり
(17)南埼玉郡宮代町西条原・東条原のあたり
(18)春日部市
(19)南埼玉郡宮代町須賀のあたりか
(20)行田市
(21)三郷市花和田のあたり
(22)浦和市大門
(23)富士見市水子のあたり
(24)志木市と浦和市との境にあった羽祢蔵出身のものと推測される。
(25)鴻巣市
(26)桶川市鴨川と上尾市井戸木にまたがる地域か
(27)北葛飾郡吉川町
(28)比企郡川島町伊草か
(29)八潮市八条のあたり
(30)岩槻市金重のあたりか
(31)南埼玉郡白岡町高岩のあたりか
(32)岩槻市
(33)岩槻市
(34)蓮田市上平野のあたり
〔解 説〕
この史料は、市(いち)を開設する際に、修験者によって市祭りが行われ、その折に市の繁栄を願って神前で読みあげられた祝詞である。
その内容は、市の起源から説き起こし、わが国の市の歴史について述べ、つづいて武蔵に関する市、すなわち六所大明神の五月会の市、足立郡氷河大明神の氷河の市などの名があげられ、それぞれの神社の境内や門前で開設され、市の守護神として市姫を祀るというものである。この前文の後に奥書として、三三か所の市名が記されている。これらの市は、武蔵の中部から東部にわたり散在しており、奥書は延文六年(一三六一)九月九日に書かれてあったものを、応永二十二年(一四一五)七月二十日に書き写したとある。他の史料にあらわれる市場名や当時の市場の発逹の状況、及び戦国時代における岩付太田氏の勢力圏と一致していることなどから、奥書の如く南北朝・室町時代の史料とは思われず、戦国時代太田氏の勢力圏にあった市場名を記したものと思われる。このほかに、これらの市場の所在するところが、大体近世に氷川神社と牛頭天王社のあった村々であることや、この祭文に氷川神社のことが記されていることから、大宮氷川神社に関係のあった修験者の関係範囲を示すものともいわれている。
いずれにしても、戦国時代の武蔵の中部から東部にわたる地域において、多くの市が立てられるほど経済活動が活発化していたことを示す史料であるといえよう。

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