北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第2節 南北朝・室町期の展開

応永三十年【一四二三)八月二日
足利持氏の常陸小栗満重討伐に、吉見範直等が従う。

156 鎌倉大草紙 〔内閣文庫蔵〕
応永卅年癸卯春の頃より常陸国住人小栗孫五郎平満重といふ者ありて謀反を起し、鎌倉の御下知を背ける間、持氏御退治として御動座被成、結城の城まで御出、同八月二日より小栗の城をせめらるる、小栗兼而より軍兵数多城よりそとへ出し防戦けれども、鎌倉勢は一色左近将監・木戸内匠助、先手の大将として、吉見伊予守(1)・上杉四郎(2)、荒手にかはりて両方より責入ければ、終に城を被責落、小栗も行方しらずおち行けり、宇都宮右馬頭持綱も小栗に同意して落行けるを、塩谷駿河守追かけ討取てける、桃井下野守(3)・佐々木近江入道(4)も是等に一味の由にて同八月八日に被討取、八月十六日結城より武州府中へ御帰陣有、高安寺に御陣座
〔読み下し〕
156 略
〔注〕
(1)吉見範直 史料155参照
(2)上杉憲実
(3)桃井宣義
(4)佐々木基清
〔解 説〕
小栗満重は、さきに持氏に叛旗を翻したがまもなく降伏した。その時所領を没収され、怨みを抱いて再び挙兵したのがこのたびの謀叛である。史料156では「応永卅年癸卯春の頃」とあるが、応永二十九年六月十三日付けの榊原家文書により、それ以前のこととわかる。応永三十年八月二日の小栗城攻撃には、吉見範直と上杉憲実が新手の将として善戦し、同日夜に城を陥落させている。

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