北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第2節 南北朝・室町期の展開

正長元年(一四二八)六月二十一日
関東府は、武蔵守護代大石憲重に、大井五郎左衛門尉の足立郡内河田郷領家職の押領を退け、黄梅院当知行の有無などの糾明を命ずる。

157 関東府奉行人連署奉書 〔黄梅院文書〕
円覚寺黄梅院雑掌申、武蔵国足立郡内河田郷(1)領家職事、為足立大炊助跡、任去応永四年七月廿日御寄進状(2)之旨、当知行于今無相違之処、大井五郎左衛門尉(3)混豊島十郎(4)(号牛田)跡押領之由、所歎申也、太不可然、且云当院当知行之実否、且云混領牛田十郎跡篇、巨細致糺明、載起請之詞、可被注申之由候也、仍執達如件
 正長元年六月廿一日 前遠江守(5)(花押)
           前筑前守(6)(花押)
  大石隼人佑(7)殿
〔読み下し〕
157 円覚寺黄梅院雑掌申す、武蔵国足立郡内河田郷領家職の事、足立大炊助跡として、去んぬる応永四年七月二十日の御寄進状の旨に任せ、当知行今に相違なきの処、大井五郎左衛門尉・豊島十郎(牛田と号す)跡を混じ押領するの由歎き申すところなり、はなはだしかるべからず、かつうは当院当知行の実否といい、かつうは牛田十郎跡の篇と混じるといい、巨細(こさい)糺明を致し、起請の詞を載せ、注申せらるべきの由候なり、よって執達件の如し
〔注〕
(1)桶川市川田谷付近
(2)史料144文書のこと
(3)紀姓出身で、荏原(えばら)郡大井郷(東京都品川区内)を本貫地として活動した大井氏の一族と思われるが、実名は不明
(4)桓武平氏出身の豊島氏の一族と思われるが、実名は不明
(5)関東府奉行人雑賀氏
(6)関東府奉行人明石氏
(7)武蔵守護代大石憲重
〔解説〕
この史料は、関東府が円覚寺塔頭黄梅院雑掌の訴えにより、足立郡河田郷領家職内足立大炊助跡に対する大井五郎左衛門尉の押領を退け、武蔵守護代大石憲重に黄梅院が当知行しているか否か、牛田十郎跡が混在しているかなどの調査をさせ、その結果を報告するよう命じたものである。
河田郷領家職内足立大炊助跡は、応永四年(一三九七)七月二十日付足利氏満の寄進により黄梅院領となった所領であった(史料144)。足立郡は足利氏の直轄領となった関係から、ことあるごとに近臣らへの所領給与の対象地として給与されており、従ってその所領に対する権益の細分化が進み、今回の場合のようにいきおいその地への権益をめぐって争いが絶えなかったところであった。この大井五郎左衛門尉による押領事件の結末は不明であるが、史料144・145にみえる如く、「同州河田郷」とあることから、大井氏の押領は退けられ、黄梅院の知行が確保されたものと思われる。

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