北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第2節 南北朝・室町期の展開

享徳二年(一四五三)四月十三日
円通庵正益は、比企郡出丸郷千蔵坊の門弟引の那智山檀那職一円を質として、某氏より二貫文を借用する。

159 借銭状 〔米良文書〕
(端裏書)「利銭之状享徳二年円通庵正益」
   申請利銭(1)之事
    合弐貫文(2)
右之御料足(3)、依有要用借申、月別ニ百文ニ五文つゝの利分を相そへ申候て、十ヶ月中ニ沙汰可申候、但御質物にハ、武蔵之国いつ丸の郷(4)千蔵坊の門弟引檀那一円ニ入おき申候、若御約束之月を過、無沙汰仕候ハ、、永代被取可申候、全其時一言之子細申ましく候、仍而為後日之利銭之状如件
  享徳弐年(癸酉)卯月十三日
        取主円通庵正益(花押)
〔読み下し〕
159 申し請う利銭の事
    合せて弐貫文
右の御料足、要用あるにより借り申す、月別に百文に五文ずつの利分を相そえ申し候て、十ケ月中に沙汰申すべく候、但し御質物には、武蔵の国いつ丸の郷千蔵坊の門弟引き檀那一円に入れおき申し候、若し御約束の月を過ぎ、無沙汰仕り候わば永代取られ申すべく候、全てその時一言の子細申すまじく候、仍って後日のため利銭の状件の如し
〔注〕
(1)「りせん」あるいは「りぜに」利子のこと
(2)一貫文は一千文
(3)りょうそく 借金の額(ここでは二貫文))のこと
(4)比企郡川島町出丸本村のあたり
〔解 説〕
この史料は、円通庵正益が比企郡出丸郷千蔵坊の門弟引である那智山檀那職一円を質物として、某氏より銭二貫文を百文あて五文の利子で一〇か月の約束で借りたというものである。
このような借用状は、奈良時代よりみられており、土地の私有化、銭貨の流通が進むにつれさかんに見られるようになった。鎌倉時代以後は、文書の様式も画一化され、この史料のような書き出しか、又は「借申利銭事」などで始まり、次の行には借用金額、ついで本文・年月日・借主の署名という順序であった。本文についていえば、利子の内容、返却の期限を示し、ついで質物の内容、罰則を記すというものであった。
この史料の場合、総額二貫文すなわち二千文を、百文につき五文ずつ、全体では一か月につき百文の利子で一〇か月間借りるというものである。通常このようなときの利子は、一貫文につき五十文というのが普通であることから、今回の場合はかなり高めの借銭ということになろう。

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