北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第2節 南北朝・室町期の展開

長禄元年(一四七五)四月十三日
古河公方足利成氏は、円覚寺黄梅院に当知行として、足立郡河田村・殖竹郷などを安堵する。

162 黄梅院領知行注文 〔黄梅院文書〕
    (証判)「(花押)(足利成氏)」
  円覚寺黄梅院領当知行(1)之事
上摠(総)州周東郡三直郷
武蔵州小山田(多摩郡)保山碕(崎)郷四ヶ村
同州河田村(足立郡)
同州殖竹郷(足立郡)
同州小玉村(児玉郡)
相州山内庄山碕(崎)郷
同州同所菜園屋地等
  已上
  享徳六年四月十三日
〔読み下し〕
162 略
〔注〕
(1)中世では土地の用益権(職)の行使と支配事実を知行といい、現実に知行を行っていることをいう。反対に知行できていない状態を不知行という。
〔解 説〕
本史料は、鎌倉の円覚寺塔頭黄梅院が当知行の地を書上げ、これに古河公方足利成氏が証判を与えて安堵したものである。黄梅院所領として足立郡河田村・殖竹郷が見える。この両地は応永四年(一三九七)七月、関東公方足利氏満から当院へ寄進されたものである(史料144))。成氏と関東管領上杉氏との抗争の中、当院は優勢な成氏に氏満ゆかりの所領の保証を求めたことになる。なお、「享徳」年号を用いているのは、京の将軍家に独立の意をあらわすため、康正改元(一四五五)及び本年九月の長禄改元にも拘らずに、旧年号の享徳を使用していたためである。

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