北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第3節 後北条氏の支配と北本周辺

享禄三年(一五三〇)十月二十六日
太田資頼は、比企郡八林村の道祖土図書助に、給分を与える。

169 太田道可判物(折紙) 〔道祖土文書(1)〕
   望申田地之事
 四貫伍百文    居屋敷(2)分
 参貫文      大夫在家(3)

 六貫文      孫左衛門尉
      其以来指上申候
〇四貫文   かうち分
 参貫五百文    書記分
 八貫伍百文    太郎三郎分
 同右
  以上弍拾九貫伍百文
諸公事(4)(者)□□可為同心候、此年貢之事(者)、為給分宛行候、謹言
  享禄三年庚刁
    十月廿六日   道可(花押)
       道祖土図書助(5)殿
〔読み下し〕
169 望み申す田地の事
     (中略)
諸公事は口口同心たるべく候、この年貢の事は、給分として宛行(あてがい)候、謹言
〔注〕
(1)比企郡ハ林郷(川島町八ッ林)の旧家道祖土家伝来の古文書で、同町下八ツ林道祖土武氏所蔵
(2)居在家ともいう。給分を受ける者の居宅とこれに付属する田畠のこと。ここでは、道祖土図書助の本宅
(3)中世で、住家とその付属の田畠を含めた収税単位として、在家役という公事の賦課対象となった農民等で、一応独立した経営単位でもある。
(4)年貢が土地を客体とするのに対して、人を客体とする税賦課で、この種類は雑多で、万雜公事と称する。
(5)道祖土氏は、下野国の那須氏の後裔と称し、比企郡八林郷に居を構える土豪である。「道祖土系図」と対応すると、「道祖土図書助」は「土佐守綱満」の代に相当するが、孫に「図書助康兼」があり、不確かである。また、彼は太田資頼の父資家の代からの家臣である。
〔解 説〕
本史料は、本宅等の田地に対する二十九貫五百文の年貢を給分として、太田資頼が道祖土図書助に与えたものである。ただし、諸公事負担は従来通りである。道祖土図書助は、大夫在家以下五人の農民(脇在家)を支配下に置く有力土豪である。戦国期では、国人領主はこのような在村する土豪・地侍層を被官(家臣)化することで、自己の基盤を固めた。おそらく石戸城を拠点に岩付城奪還を図る資頼にとって、かかる在地土豪の把握は不可欠であったろう。ともあれ、比企郡にまで資頼の権力が及んでいたのである。

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