北本市史 資料編 古代・中世

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第2章 中世の北本地域

第3節 後北条氏の支配と北本周辺

永禄五年(一五六二)三月二日
北条氏康は、足立郡内某所に禁制を出す。

185 北条氏康制札写 〔武州文書〕
 制札
右、当手軍勢甲乙人等、濫妨狼籍(藉)之事、堅令停止之、若於違犯之族者、可処罪科者也、仍如件
     (付箋)「北条氏康」(花押)
  永禄五年三月二日
〔読み下し〕
185 制札
右、当手軍勢甲乙人等、濫妨狼籍(藉)の事、堅くこれを停止せしめおわんぬ、もし違犯の族(やから)においては、罪科に処すべきものなり、よって件の如し
〔解 説〕
本史料は、北条氏康が某所に出した制札である。史料には場所が書かれておらず、制札を掲げた所が不明である。文書の原本は残されていないが、「武州文書」巻十二足立郡に所収された本史料は、「鴻巣宿三太夫所蔵小池氏」、となっている。この所蔵者については、史料174の解説で述べた、同郡市宿新田、すなわち鴻巣宿(鴻巣市本町)の開発者小池長門守の子孫である。したがって、本史料が掲げられたのは同郡鴻巣宿と考えられよう。なお、『新編武蔵風土記稿』に同じ文書が載せられているが、これには、「小池長門守屋敷」とある。後北条氏の岩付領への攻勢を示すものといえ、市域へも同様な動きがあったとすべきで、謙信帰国後の武蔵国内の不穏の情勢に関連した制札である。

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