北本市史 資料編 古代・中世

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第3章 城館跡・金石資料・仏像

第2節 金石資料

1 板碑

(四) 市域で最も大きい板碑と小さい板碑
 最も大きい板碑は寿命院(深井)の40-02で、地上高が一九〇センチである。建治二年(一二七六)の造立。二重枠線に囲まれ、種子の書体は縦長で建長年間の書体に近い端正な書体である。「諸行無常(しょぎょうむじょう) 是生滅法(ぜしょうめっぽう) 生滅滅己(しょうめつめつい) 寂滅為楽(じゃくめついらく)」の偈は『涅槃経』の「第三 因果経第一」からとった偈である。二重枠線は県内では岩槻市の寛元元年銘板碑を初出とし、市域では図20文永九年銘の34-01に始まり十四基に見られる。二重枠線は鎌倉期が主で、作りが丁寧なものに多い。南北朝期では少なく、室町期では例外に近い。

図5 寿命院建治二年銘阿弥陀一尊種子板碑(40-02)


        諸行無常是正滅法  
              孝子  
 キリーク蓮座 建治二年三月日   
              敬白  
        生滅滅己寂滅為楽  


 最も小さい板碑は、多聞寺(本宿二)の24-09で、総高三九・ハセンチである。宝徳二年(一四五〇)のキリーク一尊種子板碑で「妙清禅門」の法名が入っている。まさに常民の墓石となってきたことを示している。

図6 多門寺宝徳二年銘阿弥陀一尊種子板碑(24-09)


         妙清    
            十七 
 キリーク蓮座 宝暦二年正月 
             日 
         禅門    

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