北本市史 資料編 古代・中世

全般 >> 北本市史 >> 資料編 >> 古代・中世

第3章 城館跡・金石資料・仏像

第1節 城館跡

8 その他

大島大炊助屋敷跡
大島大膳助屋敷跡
矢部新右衛門屋敷跡
矢部兵部屋敷跡
小川図書屋敷跡
これらの屋敷跡は、宮内地区を中心とした地域に所在したと考えられるが、その所在地を目下調査中である。居館者は、文書や『新編武蔵風土記稿』によれば、岩槻城主太田氏房に従っていたが、家康の入国以後、従前の居所に帰農するよう促されたとある。従って、その居所には館が構えられていた可能性が高い。
このほか、市の西側の下石戸下村、コミュニティセンター付近は、前述の古市場上手館同様にその小名が上手であることや、この「ウワデ」という地名が、館、城に由来する地名であると想定されることからやはり、館であった可能性が強い。
地形的には、大宮台地の稜央部の西側にあって東側に江川、北側にも浅い樹枝状の谷がのびている。
昭和二十二年GHQが撮影した航空写真には、この館を囲むように堀状の曲線がみられる。いずれにしろ、今後の精査がまたれる。
さらには、高尾地区に城中という地名が残る。城中という地名は一般的には館・城の関係地名と思われる。やはり今後の精査をまちたい。

図13 北本市周辺城館跡分布図


<< 前のページに戻る