北本市史 資料編 近世
第1章 領主と村
第1節 村の政治
1 領主と地頭
8 牧野氏・伊奈氏・日下部氏系図抄(国立公文書館所蔵 『寛政重修諸家不譜』より抄出)
一 牧野氏系図抄
「
清和源氏 支流
牧野
寛永系図家伝を引て、阿波民部重能が嫡男田内左衛門尉教能が後胤なりとしるし、また牧野氏其出所を詳にせず。重能が先祖もまた分明ならず。しかれども讃岐守康成、内匠頭信成、佐渡守親成従五位下に叙するときの口宣に源氏といへり。これによりて今こゝにのすといふ。今の呈譜を按ずるに、はじめ紀氏にして、武内宿禰の後胤阿波民部丞成能、寛永譜民部重能其子田内左衛門尉成直寛永譜敢能はじめ平氏に属し、阿波守に任じ、のち父子ともに源氏に降り、讃岐国をたまひ、子孫相続してかの地に住す。
その子孫田内左衛門成富応永年中細川氏にしたがひて三河国にうつり、赛飯(ほゐ)郡牧野村に住す。よりて牧野を称す。定成康成が時東照宮の仰により源氏にあらたむといふ。
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家紋 丸に三柏 九曜
先祖忠節ありて、朝廷より十六葉の落菊をたまはり、康成がときにいたり三柏にあらたむ。
清和源氏 支流
牧野
家紋 丸に三柏 十六葉菊
牧野
家紋 丸に三柏 十六葉菊 九曜
牧野
家紋 丸に三柏 九曜
牧野
家紋 丸に三柏