北本市史 資料編 近世

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第1章 領主と村

第1節 村の政治

2 村高

11 天保六年(一八三五) 天保郷帳(抄出)
  (国立公文書館所蔵)
一高七拾壱石四斗九升五合   花野木村
一同百五拾弐石四斗九升三合  古市場村
一同弐百三拾弐石八斗四升五合 下中丸村
一同弐百五拾石三斗六升    上中丸村
          古ハ石戸町
一同百七拾六石四升七合    石戸宿村
          荒井村枝郷
一同六拾八石七升五合    北 袋 村
一同弐百拾七石八斗弐升三合 荒 井 村
ー同三百八石六斗八合四勺  下石戸上村
一同三百九拾八石壱斗八升九合 下石戸下村
一同五拾八石五斗三升八合  本 宿 村
一同五拾弐石壱斗六升五合  山 中 村
一同百九拾七石八斗九升五合 下宫内村
一同弐百五石八斗四升    上宮内村
一同百五拾壱石壱斗三升   別 所 村
一同百七拾四石六斗九升四合壱勺 上深井村
一同百七拾六石四斗五升壱合七勺五才 下深井村
ー同八拾七石弐升五合    東 間 村
一同四百六拾石五斗壱升九合 高 尾 村
解説 郷帳とは郷村高帳の意味である。この郷帳は幕府の勘定所が国絵図とともに編集したもので、収納高を把握する財政上の基礎台帳の性格をもっているので、土地の開発や生産力の向上に応じて改編された。
『武蔵田園簿』はまたの名を『正保田園簿』ともよばれる。正保元年(一六四六)幕府は日本国郡図および諸城図の作成を全国に下命したが、田園簿はこの正保の国図に添えられた郷帳案であるとされている。国図は大名の統制にねらいがおかれていたが、この田園簿は給人と農民の一体的掌握をはかるためと、石高制による知行高と村高の確定をめざしたものである。
その後村高と生産力のずれは開発が進むほど大きくなり、やがて寛文・延宝期(一六六一~一六八〇)の総検地によって村高の改正が行われる。「元禄郷帳』は元禄九年(一六九六)元禄国図とともに作成されたもので、十七世紀後半の村高が記載されている。
二度目の改編は天保六年(一八三五)になされた。これが『天保郷帳』で、諸国の領主・代官から進達した資料に基づき編集されたものである。

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