北本市史 資料編 近世

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第1章 領主と村

第1節 村の政治

5 関東取締出役の支配と組合村

18 天保四年(一八三三)十二月 御取締様村々取締案書
 (埼玉県立文書館所蔵 鴻巣市 藤井真家文書)
(表紙)

  天保四巳年十二月
 御取締様村々取締案書
                  」
     差上申一札の事
当巳年の儀は不時の冷気ニて、就中田方違作致米穀高直ニ付、農外の渡世二て今日を経営候もの共は難義困窮致、無宿無頼の遊民は弥以の儀故、宿町村々等江米穀高直ニ売候、商人は打毁シ候杯不法狼藉の張札等致、既ニ日光道中幸手宿ニて打毁シ騒動有之、此節御取調中兼て御改革の節被 仰聞候通り、縦米商人共不届ニ候共其筋々江不申立、不法狼藉およひ候ては可立願も不相立、狼籍徒党の頭取は重キ御仕置も被 仰付、不便の次第ニ付、若米穀〆買〆売候ものか米直段引上ケ手段等致、貧民難義致候次第ニ候ハゝ、早々其筋々江訴出候は勿論の儀、各様御廻村先江も御訴申上候ハゝ、難義不相成様御取斗も可有之間、悪者共徒党を企候もの決て荷担不致、右企候名前并ニ不法狼藉の張札等致候ものたりとも、直ニ密々御訴申上候様小前一同江可申聞置、右は全衣食住ニ奢農を怠候もの共は、違作の年柄ニは難義困窮致不法狼藉ニ至り候間、此上村役人共精々勧農筋を心掛無宿無頼は勿論、田畑不耕遊民の者ハ村方ニ無之様、厚世話可致旨精々被仰渡候趣逸々承知奉畏候、仍之一同連印御諳証文差上申処如件

資料18 御取締様村々取締案書(埼玉県立文書館所蔵 鴻巣市 藤井真家文書)

     矢嶋藤蔵支配所
      武州足立郡原馬室村
          名主
天保四巳年      伊 平 次
   十二月
          組頭
           初 五 郎
          百姓代
           惣   助
     同支配所
      同郡滝馬室村
          名主
           富右衛門
          組頭
           惣右衛門
          百姓代
           金 兵 衛
     牧野靱負知行所
      同郡高尾村
          名主
           重 次 郎
          組頭
           幸   八
          百姓代
           捨 五 郎
     牧野寛十郎知行所
      同郡荒井村
          名主
           平 兵 衛
          組頭
           甚右衛門
          百姓代
           条 之 助
関東向御取締御出役
 山本茂左衛門様御手附

    吉田左五郎殿
山本大膳様御手代
    河野 啓助殿
  同
    太田 平助殿
  同
    小池 三助殿

     口達の覚
別紙請書の趣、小前のもの共江申渡請印取置、以後不取締の次第無之穏成様ニ取斗、身元相応篤実寄(奇)特のもの共、米穀安売又は貧民為救米金助成致或は其所役人江差出、向後難取続もの共夫食手当助成ニ積置候儀も有之は、取斗向寄特の筋ニ付 御奉行所江申上候間、右様の儀有之候ハゝ、金銭米穀其外の品たりとも壱人別員数書付可申聞候事
  但シ、領主地頭より窮民救方の次第も可被書出候
      原馬室村
         名主
          伊 平 次 ㊞
         組頭
          初 五 郎 ㊞
         百姓代
          惣   助 ㊞
      滝馬室村
         名主
          富右衛門 ㊞
         組頭
          惣右衛門 ㊞
         百姓代
          金 兵 衛 ㊞
      高尾村
         名主
          重 次 郎 ㊞
         組頭
          幸   七 ㊞
         百姓代
          捨 五 郎 ㊞
      荒井村
         名主
          平 兵 衛 ㊞
         組頭
          甚右ヱ門 ㊞
         百姓代
          粂 之 助 ㊞

 右前書の通り奉承知候、以上

右別紙の趣寄場村ニて間取廻状成丈早々順達、其上組合大小惣代共江申談、村々江相達受印取置我等共も追々為取締廻村致候間、其筋可被差出、且宿町村々の内ニは先達て中より寄々相達候向も有之、右の分は不及差出候、此廻状組合寄場役人令請印、昼夜刻付順達留り村より追て廻村の節可被相返候、以上
            小池 三助
            太田 平助
            河野 啓助
            吉田左五郎
解説 天保四年は冷害による不作で、米穀の値段が高騰したため幸手宿では農民の打毁しがおこっている。
 この資料はこうした社会情勢に対応したもので、たとえ商人が悪徳に走っても、不法狼藉をすることなく、そういう商人を役所に訴え出ること、なお衣食住に奢ることなく農業に励んで、村々に遊民のいないよう留意していきますと、滝馬室・原馬室・高尾・荒井の四村の村役人が、取締役に対して請印を提出したものである。
 なお、口達の覚えとして、前記のことは小前百姓に諳印をとること、さらに米穀を安く売ったり、米や金を救恤する篤実奇特な者がいたら奉行所へ知らせること。領主・地頭の救民の事実があったら報告するよう求めている。

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